室内での男女が繰り広げている奇怪なバトルに、クローは一瞬思考が停止したが、すぐに脳内で切り替える。
あの少女を助けねばと、なぜかそんな気持ちが走り、体で目の前の透明な壁を破壊する。
ガラスが壊れる音に、当然中の少女と領主のショウも気づいた。
「なっ、お前はッ?!」
カッと見開く少女の目。
「なっ、曲者!」
ショウは素早くクローのほうに銃口を向けるが、クローは臆することなく室内へと侵入する。ショウの発砲とほぼ同時にジャケットの中から小型爆弾を投げつけた。爆弾はちいさな破裂音とともに、すさまじい煙を放った。煙幕弾だった。投げると同時に素早くマスクを装着し、少女のほうへと駆け寄る。
「ちっ、なんだこれ、!? お前は何者だ!?」
荒々しい口調、さきほどの少女とはとても同一人物には見えなかった。それでもたしかにあの少女だ。違和感を感じつつも、クローは確信していた。ギロッと鋭く睨むが、煙幕に目とのどがやられている。
「先にも言った。俺はアンタの敵じゃない。さっ、逃げるぞ」
「おい、うっっ、くっっそ」
悔しそうに呻いて、少女はクローの腕の中で気を失う。ショウのほうも何度か発砲したもののそれはクローにも少女にも幸いにも当たることなく、煙の中でどさりと倒れこむ音だけが聞こえた。じきに館内の者が駆けつけるだろう。素早く窓からクローは脱走した。



暗い森の坂道を駆け上る。走り去る小柄な背中を追いかけて。
まさか、まさか…
生きていたなんて…!
とうの昔、あの者が赤子の時に、この山で死んでしまったものだと思っていたが。
生きていた!
確かめたわけでも、確かな証拠があったわけでもないが、そう確信していた。あの赤子は生きていたのだと。自分の娘と同じ年頃にまで成長していたのだと。山姥とバケモノ猪が住むおそろしいこの山で生きていたのだと。
追いかけた背中はあっという間に小さくなり、闇の中に消えてしまった。
もう一度会えないものだろうか……。



クローは目を覚ました。仮眠していたつもりだが、ついさきほどまで夢を見ていた。まるで体験したことのようにえらくハッキリとした夢の中の景色。
山の中にいて、暗い闇の中のようなそこで、だれかを追いかけていた。歳にすれば十四、五歳くらいの少年のようだったが…、ボロボロの薄汚れた衣はいくらBエリアでも見かけることのない出で立ちだった。場所はどう考えてもこのエリアではなかったはず。
ぼんやりと夢の事を考えながら、クローはすぐそばに横たわる少女に目を向ける。全裸に近い格好だったので、自分のジャケットを着せてやったが、それでもまだ寒そうな格好ではあった。
「…んん…」
少女が小さく呻いて眉間に皺が寄る。
「気がついたか?」
「…あ、あなたはあの時の?」
寝ぼけ眼をしぱしぱさせながら少女は目覚めた。
「ああ、俺の名はクローだ」
「クロー……」
聞いた事ない名前だ。少女は「ううーん」と言いながら体を起こした。
「えっと、…あたしたしか、領主のところに行って…変な格好させられて…」
見に覚えのないジャケットを身に纏っていたので、?と首を傾げるが、胸元から中を覗き込んで「あっ、夢じゃない…」と落ち込む。ジャケットの下は領主に着せられたヘンな格好のままだった。
「ここは…?」
きょろとあたりを見渡す。さきほどまで少女がいた室内とは全然違う。狭くて薄暗くて、質素すぎる室内だった。
「俺の仮住まいだ」
「え…、…てことはやっぱり領主館じゃないのよね…?なんでこんなところに?」
なにも思いだせない。少女の記憶の中では、変態領主に変態的なことをさせられそうになって、…そこからの記憶が全くなかった。目がさめたらなぜか通りで助けてくれた謎の男…クローが目の前にいて、彼の住まいで眠っていた。
「! まさかあの領主の仲間?!」
「いや、関係はない、アイツとは」
「とは?」
クローは領主のショウとは関係はなかったが、…自分でも言いながら考え込み目の前の少女を見つめる。
「うっな、なんですか?」
「そういえば名前、聞いてなかったな」
「あ、あたしですか? 桃山リンネ、Aエリアの住人です」
「桃山…リンネ」
顎に手を寄せながら反復する。…記憶にない名前だ。
「もしかして、あたしのこと知ってる人?」
「いや、知らない」
「うっ」
がくりとリンネが顔を落とす。
「そうなんだ。…助けてくれたし、あたしのこと知ってる人なんじゃと思ったけど…、あ、じゃあなんで?」
二度も助けてくれたのか?とリンネが訊ねる。
「気まぐれ、かな」
「…はぁ…」
クローがリンネを助けた理由、気まぐれだけではなかったが。まだハッキリとしていない。お互い見知らぬ者同士だが、どこかで知っている気もする。
「…あの、今って本当に1499年?」
いきなりリンネが訊ねてきた事に、一瞬なにを言っているのだとクローは思った。
「ああ、たしかにそうだが、それがどうした?」
「うっ…、やっぱり、そうなんだ…」
とまたがっくりと肩を落とす。
「あの領主もそう言ってたんだけど、やっぱり今1499年なんだ。…あたしは1497年だってずっと思っていた。どうも二年間の記憶がないみたいで」
はー、とためいきをつく。
「なるほど、記憶がないか。なにか事故に合ったか、何者かに記憶操作の薬でも飲まされたか」
「えっな、なにそれ恐ろしいんですが、や、どれも違うような」
「もしくは、自分で記憶を売ったか、だな。ここ二年の記憶だけがないのか?」
「うん…、みたいなんだけど」
「そうか、ならその可能性が高いかもな」
「えええー、そんな、自分で記憶を売るとか、考えられないんですけど」
「記憶の売買をしているところがここにはあるからな。…俺もかつては利用しようと考えた事もある」
十二年前のあの日の記憶。ただ事故直後、夢の中の出来事のように感じていて、とても自分の記憶のようではなかった。辛かったのはそれより後のことだ。体の回復にしたがって、記憶も鮮明に蘇ってきた。仲間たちの激しい最期をできることなら消し去りたいと願った。何度か記憶屋へと足を運んだ。そのたびに酷く迷ったのだ。生残った自分は、忘れてはいけないのかもしれないと。仲間たちの最期の時を、唯一知る自分は覚えていなければならないのだと。
「クローは記憶を売った事が?」
「ないな、結局。売ろうとは思ったが、…どうしてもできなかった。消し去りたいほど辛い記憶なんだが、大事な記憶でもあるんだ」
「記憶か…、あたしなにも思い出せないけど、よっぽど嫌な記憶だったのかな。…それなら忘れたままのほうがいいのかもしれない。忘れたままの…あっ!」
ぼやいてから、あっと声を上げてどよんと暗い顔になるリンネ。
「途中から記憶ないんだけど、あたし領主館であのショウって奴に…やられちゃったんですよ…ね?」
恐る恐るとクローに訊ねるリンネ。クローはえ?と首をかしげる。
「い、いや、俺は最初から見ていたわけではないが、俺が見たときには、お前のほうが有利に見えたが」
「え?」
「覚えてないのか? そういえば、あの時は今とは全然違う雰囲気だったな。人格が違うというか」
「え、どういうこと? その…怖いんですけど、もう少し説明してもらえると」
「戦っていた時の記憶がないのか?」


――クローは目撃した一部始終をリンネに話した。ショウ相手に戦っていたなど、リンネ自身はまったく覚えがない様子で驚いていた。そして混乱していた。
「うううそんなのまったく記憶にないし、なにそれあたし二重人格とかですか? そんなことほんとうにあるの? それにバトルとか、…あたしがそんな野蛮な事するわけが…」
Dエリア的な考えはキライなのにとぶつぶつぼやくリンネ。話したクロー自身も、混乱しそうだった。覚えていないと言うリンネ、あの時のリンネは別の人格が動いていたと言う事か?
獣のような鋭さを放っていたあの時のリンネは、今の彼女とは真逆すぎた。
「もう今は休め。よかったらそこの寝台を使うといい。ここは俺の住処だ。そう危険もなかろう」
「あ、あの…あたしBエリアでいろいろ起こっていまだになにがなんだかって状態なんだけど。…こんな場所にもいい人っているんですね。少し安心しました」
「あまり安心されても困るな。ここは己の身は己で守るのが常識だ。それに、俺がアンタを助けたのは親切心じゃない」
「えっえっ、まさか下心がッッ!?」
ずいと伸びてくるクローの大きな手に、リンネはびくりと目を瞑り強張らせる。
ぼすっとリンネの頭を軽く押さえながらクローは言う。
「気まぐれだと言ったろ。俺はすぐそこにいるからなにかあったら声かけてくれ」
「は、はぁ…」



壁にもたれながら、うとうとしていた。
軽くまた夢を見ていたようだ。どこかの、山…。波の音が聞こえているようで、どこかの浜辺。
おかっぱ頭の少女がこちらを見下ろしながら、なにかを訴えている。聞きとれはしないが、切ない叫びのような気がする、その表情から。ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
ああ、この子は、自分のために泣いているのだろうか。


「夢か、…以前の続きのようだったな」
クローの中で以前見た夢とストーリーが繋がっているように思えた。あの場所はどこなのだろう。
ふと、リンネの様子が気になって寝台のほうに向かった。
薄暗い室内に、ぼんやりと姿を確認する。
ベッドの上で規則正しく上下する胸、寝息も聞こえる。すっかり熟睡しているようだ。
夢の中で泣いていた少女とリンネは関係あるのだろうか?そんなことを考えたが、いやどうも違う気がするとも思う。
なんだ?このもやっとした感覚は。
なにかを確かめるようにクローは眠っているリンネへと手を伸ばす。
「!?」
触れる直前、カッとリンネは目を見開き、反射的に飛び起きた。
「っってめぇっ、何者だ!!」
「え?」
クローを睨みながら、ベッドの上でいつでも飛び掛ってこれそうな体勢でリンネは吼えた。乱暴な口調、ギラリと不気味に輝く目、先ほどまでのリンネとは違う。
「どうした、寝ぼけている、わけではないのか?」
「俺様は桃太郎だ!」
桃太郎?
聞き覚えのある名前だ。桃太郎、それは1500年前のテロリストの名前だ。初代鬼王温羅の知名度には劣るが、その名を知らない者はめったにいないだろうってほどの有名人だ。
「桃山リンネ、ではなかったのか?」
クローは冷静に問いかける。桃太郎と名乗ったリンネは、ハッと息を吐きながら答える。
「ああ、こいつは桃山リンネだ。俺様の生まれ変わりでな」
「生まれ変わり?」
顎に手を寄せながら、ああなるほどとクローはつぶやいた。リンネはもう一人別人格がいたのだ。クローが領主館で見た時のリンネ。それが今目の前で「桃太郎」と言い張る彼女だ。口調からしてもこの人格は男だろう。恥じらいの欠片もなく股を開いて膝を立てている。
「生まれ変わりか、おもしろい幻想だな」
「は? なんだと? 俺様は正真正銘の桃太郎だ!」
ベッドの上で素早く飛び上がったかと思うと、リンネはクローのふところに飛び込んでいた。
「!?」
お互いの目の中に相手の姿が映る。クローとリンネ双方ともハッとしたように目を見開いた。
「そうだ、俺はアンタを知っている」
「お、お前はッッ」
クローの腰元の武器を奪おうとしたリンネの手を掴んだ。
「なにをするつもりだ?」
「っつ、はなしやがれ」
手首をひねられて、リンネが叫び悲鳴をあげる。
じたばたと暴れるリンネを、体重でもって押さえつける。
「うおっっ、のっっ」
「どうした? 急に動きが鈍くなったな?」
「くっそ、なんなんだよ、お前は、ああーーくっっそ」
「!? ん、おい?」
いきなりびくんとはねたかと思えば、急にがくんと力をなくし、クローの腕の中でリンネは動かなくなった。まるでスイッチがオンからオフに切り替わったように。
「うう、あ、あの…はなし…」
声色が変わったかと思えば、顔を赤くしながらぷるぷるするリンネに、クローは確かめるように訊ねる。
「お前、リンネか?」
「はあ? あたしはリンネですけど…。その、なにしてるんですか?」
リンネにしてみれば、気がつけばベッドの上でクローに抱きしめられていて何事なのかというわけだ。さらにその手は胸と腰元を掴んでいる状態で、はたから見たら乳繰り合っているように思われそうだ。
「ああ悪いな」とつぶやいて、リンネから離れクローが上半身を起こす。
「桃太郎だそうだ」
「は?」
クローの一言にリンネは意味がわからず聞き返す。
「君のもう一人の人格の名前さ」



「…アイツ一体、何者なんだ」
「―ョウ様! ショウ様!」
ドンドンと激しくドアを叩く音に自分を呼ぶ声、イラっとしながらショウが扉を開ける。
「うるさいな、なんだよレイト」
ブスッとした態度の主に、レイトは慌てた態度で返す。
「ショウ様少しは警戒してくださらないと、お命を狙われているんですよ?」
「はぁ? ボクが? 誰に」
危機感0のショウに、レイトだけはあわあわと慌てる。
「例の脅迫状ですよ」
レイトの言う脅迫状とは、ショウの元に届いた一通の脅迫状のことだった。ただ内容はショウにもレイトにも理解できないものだった。
「ああ、たしか…、タカネを返せ、さもなくばお前をアレしてアレにするとかなんとか、だったっけ?」
ケラケラと笑いながら脅迫状の内容を言うショウに、レイトは頭を押さえながら息を吐く。
「笑い事ではありませんよ。現に庭内に爆弾が仕掛けられたではありませんか」
「あれは脅しだろ? ボクを殺すつもりならあんなところに仕掛けやしない。でもさ、いるんだね、今時鬼に逆らうテロリストなんてさ、とうの昔に絶滅したと思っていたけど」
「先日賊がショウ様のもとに侵入したではありませんか。…ショウ様にお怪我がなかったのはなによりですが」
「バッカじゃないの? ボクが賊ごときにやられるとでも?」
「めっそうもございません。ですが、その万が一という事も」
「そんなことよりさ、せっかく買った人形が逃げちゃったんだけど。早く見つけてきてくれない?」
「そんなことって!? ショウ様、それこそそんなことではありませんか?」
「はあ? お前にとってはそんなことでも、こっちにとっては違うんだよ?」
「うぐぅっ、…承知しました」
不服そうな顔を浮べながらも、レイトは逆らえず退室した。
「鬼が島にとってはね」
あの娘には鬼が島が警戒するだけの理由があった。そのことはレイトにすら知らされない。ただショウも、詳しい理由は聞かされていない。が、警戒しなくてはならない人物なのは確かだ。あの時、凶暴な獣に豹変した。
「(どこかで覚えがあるような…、気のせいか)」



「なにがなんだかよくわからないけど、…あたしはAエリアに帰りたいんです」
衣装を着替え終えたリンネはクローにそう伝える。衣装はクローが見繕ってきたものだった。
領主がアレと判明した今、領主館にも戻れない。
「Aエリアにか、戻れるあてでもあるのか?」
「うう、それは…」
許可証もない。領主はあてにならない。がっくりとリンネはうな垂れるが、なにか思い出したように「あっ」と声を上げて顔を起こす。
「おばあちゃんなら」
「?おばあちゃん?」
こくこくとリンネが頷く。
「あたしのおばあちゃんBエリアにいるのよ。だから、おばあちゃんに頼めば、な、なんとかしてもらえるかも」



一時間ほど迷いつつ、リンネとクローはリンネの祖母の家へとたどり着いた。途中何度か柄の悪い連中に絡まれたが、クローの機転で上手くかわしてきた。
「ここか?」
「うーん、たぶん。住所このあたりのはず…」
妙に自信なさげなリンネの声色が頼りないが。クローがリンネの祖母の家など知るわけもない。
ノックをして呼びかけるが、中からは返事も物音もしない。留守のようだ。
「お邪魔します」
ゆっくりとドアを開ける。中は物音ひとつしない、静かだ。だれもいない。が人が生活している場所なのはわかった。テーブルは埃を被っていない。食器も目についた。
「いない、みたい」
「出かけているようだな。どうするんだ?」
「ううーん、…長らくおばあちゃんに会ってなかったし、なにしているのかさっぱりなんだよね…」
「ここで待っていれば会えるんじゃないのか?」
「う、うん。そうしてみる」
「そうか、じゃあ俺は戻るとしようか。ここなら、危険もあまりなさそうだしな」
「あっ、ちょっと待って!」
呼び止められてクローはドアにかけていた手を離す。
「お世話になってばかりで悪いんだけど、そのおばあちゃんが帰ってくるまでいてもらえないかな?」
「そうだな。…特に用もないしかまわない」
「あ、ありがとうクロー」
「ここでなにをしている?」
響いた声はクローのものでもなければ当然リンネのものでもない。低く響く男の声。部屋の出入り口に立ちふさがっていた男の存在に二人とも気づいた。仁王立ちで立ちふさがる男は、眉間にしわ寄せこちらを睨みつけている。背も高く逞しい体は出入り口の隙間をほとんど埋めているといってもいい。いやオーラが余計そう感じさせている。只者ではない気を放つ。
「ひっど、どうしよう、ここおばあちゃんの家じゃなかった?」
パニックになるリンネを庇うようにクローが男の前に立つ。抜刀の構えをとりながらクローは男を警戒し見据える。ギロリと睨む男も刀を抜きさり攻撃の構えを取る。どちらが先に動くか。僅差で男のほうが速かった。
「くっ」
ビリビリと全身に電気が走るよう。男の攻撃を武器で防ぐが、パワーも向こうの方が上だ。勝てない。本能的にクローはそう悟った。
「リンネ逃げろ!」
今の内に、今というわずかな瞬間でないと彼女に逃げるチャンスはないだろう。クローの背中のリンネはあわあわとなっている。逃げなきゃとも思うが恐怖で体が思うように動けない。
「ん?リンネ? 貴様リンネか?」
「え?」
殺気を漲らせていた男のそれが緩む。クローもそれに気づく。この男はリンネの知り合いなのか?
「ど、どちらさまで?」
まだがくつく体を抑えながらリンネが訊ねる。
「フン、悪趣味な格好の変質者かと思ったが、お前がリンネか?」
「いや、だからだれなんですか?」
「俺はタカネの恋人だ、タカネの恋人テンだ」
「……」
リンネもクローも一瞬ぽかんとなり、言葉を失う。
「え、え?えええーーーー」
リンネの驚きの叫びが室内に響き渡った。



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