馬 駆ける
第十一話 【君とアイツ、鋼鉄の決意】

「そう…」
小さくつぶやいて、テンカワさんは天井を見つめていた。
あれからすぐにテンカワさんのいる病室へと戻った。ちょうどテンカワさんは意識を取り戻していた。現状はカツさんから大方聞いたらしい。
『テンカワはもう走れない』
アマツカ君はそう言っていた。今テンカワさんに足はない。実際彼女は走ることができないんだ。あの鋼鉄の足は、アマツカ君が持っていってしまったから。
「足、外されたのね。…すごく、スッキリしている」
くいっとわずかにふとんが持ち上がる。テンカワさんが足を動かしたんだろう。
「お前を縛り付けていた忌まわしい鋼鉄は、アマツカの奴が持っていった」
「区長…、アマツカは?」
こちらに顔を向けたテンカワさんに、マケンドーが首を振る。
「悪いがアイツは助けなど必要ないと言って、オオガワラの元に戻った」
「そう…」小さくつぶやくテンカワさんの瞳がわずかに揺れた。
「マケンドー! もう一度、アマツカ君を説得してみようよ」
「無駄だ。本人が望んでいないことをムリにしてなんになる。単なる自己満足だ」
「うっでも…」
望んでいない。アマツカ君の表情も、言葉も、救いを求めているようには感じられなかった。でもだからってこのままじゃ、テンカワさんだって…。
「いいの、カケリ。…もう止められないのね」
「そんな、諦めちゃだめだよ、テンカワさん」
「私ではアマツカを止められなかった。彼を救えなかった。足を捨てて馬になったのに、…私はなにも」
「テンカワさん…」
自分を犠牲にしてまでアマツカ君を…。
「マケンドー、なんとかできないの?」
「お前もしつこいな。アイツにおせっかいやける立場か?」
「ウミコさんの時は助けてくれたのに。中央東の区長が気に入らないから嫌なんでしょう?」
「気にいらないのは向こうのほうだろうが。…オオガワラの傍にいて、アイツこそ俺をどう思っているかだ」
「そんなことない、区長、アマツカは…あなたのことを…」
あたしもマケンドーも、テンカワさんの発言に意識を向ける。
「あの時、私に言った。この先は、区長あなたを頼れって。区長なら信頼できる人物だって…」
「アマツカ君が、そう言ったんだ? マケンドーのこと信頼できるって」
「うん」とテンカワさんが頷く。それが本当なら、アマツカ君は、マケンドーのこと信頼しているってことじゃない。
「アイツが、俺のどこを見て信頼できると言ったんだ?」
「それは、わからない。けど、オオガワラの命令でずっと区長の事見張ってて…、区長がどういう人かわかったんだと思う。頼ってもいい人だって」
テンカワさんのそれに、マケンドーは複雑な顔つきで視線を斜め下に落とした。
テンカワさんの言葉に喜ぶ感じでもないし、怪訝な表情のままだ。
「あっ! もしかしたら、厄介者を押し付けられたって」
「誰もそんなことは思っていない。が、奴はもうお前に固執していないんだろう?」
「それは…」
テンカワさんの表情が暗く沈む。そして、テンカワさんは少しずつ話し始めた。アマツカ君がなにをしようとしているのか。


「マケンドー!」
「うるさい、しつこすぎるにもほどがある。いい加減にしろ」
帰りの車内で、あたしとマケンドーの押し問答は続く。
テンカワさんの話。
中央東の馬、鋼鉄の天使のテンカワさんがもう走れないとなると、次の馬が当然いる。すでにいるのかどうなのか、あたしにはわかんないわけだけど。テンカワさんの予想では、アマツカ君が馬をさせられるんじゃってことで、テンカワさんはそのことであんな風に思いつめていたわけで。
アマツカ君を助けてほしいと言っていたけど、テンカワさん半分あきらめていたような感じだった。自分ではアマツカ君を止められないってわかっていたからだろうか。すがる思いでマケンドーを頼ったっていうのに。
「アマツカ君きっと、わけがあるんだよ」
「どんなわけだ? テンカワですら知らんと言ってただろ」
「そ、それは、テンカワさんにわからなくても…マケンドーなら…」
「は?」
「だってテンカワさん言ってたじゃない。アマツカ君はマケンドーのこと頼っていい人だって言ってたって。だから、マケンドーならアマツカ君のこと…わかってあげられるんじゃないかな…」
アマツカ君がマケンドーのことどう思っているかなんて、わかんないけど。でも、テンカワさんのこと預けたんだし、それだけ信頼しているってことじゃないかな。
「お前もバカ素直すぎる。少しは疑ってみろ。テンカワの話を一から全部信じるな」
「なにそれ、テンカワさんが嘘ついているとでも言うのか?」
あの顔、真剣にアマツカ君のこと心配していた顔だった。とても演技とか思えないし。
「そうとは言わん。がアマツカがテンカワを騙している可能性はあるだろ」
「っっ、ここまでひねくれている奴とは思わなかった」
マケンドー、やっぱり嫌な奴だ。その後はあたしはマケンドーとは一切口をきかず、帰館した。


アマツカ君…。
初めて会ったとき、まるで天使みたいな男の子だと思った。
キレイで優しくて、不思議な存在の男の子。まるで運命の出会いみたく、君はあたしの前に現れたんだ。
だけどそれは、運命の…なんて乙女ちっくな関係にはならなかった。
中央東のスパイ。中央東の区長の命令で、マケンドーのことを探っていた。だから、あたしのことも知ってたし、近づいた理由だって…。
「はぁー、だけど…」
テンカワさんはアマツカ君を救って欲しいとマケンドーを頼った。アマツカ君はテンカワさんに、今後マケンドーを頼れって言ったらしい。それってつまり、マケンドーのこと信頼しているってことじゃない。マケンドーが動いてくれたなら…。
「でもアイツはアマツカ君のこと信じてないみたいだし」
車内でのやりとり思い出して、またむかついてきた。くっそーーマケンドーのやつ。
「ああもう、わかんないよ、マケンドーもアマツカ君も」
「知りたい?」
「え?」
今聞こえた声は? 聞いたことない、ちょっと高めの男の人の声…。
でもおかしい、ここはあたしの部屋だし、他に誰がいるでも、テレビの音でもラジオでもない。それに館内にいる人の声でもないような…。
「うん、ボクも知りたいな。彼のこと…」
「へ、ひっ」
カーテンが風に揺れながらめくれた。その中から、見知らぬ男?の人が現れた。黄色くカールかかった短髪に、長い睫の、たぶん一般的にキレイなタイプの男の人。だけど、どこか一般的に思えない妙な雰囲気。…というか、この人。
「不審者…、警察…呼ばなきゃ」
妙に冷静なあたし。後ずさりで、出口のドアノブを握る。
「あっちょっと、待ってよ」
パチンと指を鳴らす妙なしぐさ。なにやってんのこの不審者、って、あれ?
「開かない? なんで鍵が?」
かかってるはずのない鍵がいつのまにかかかってて、ドアが開けられない。ガチャガチャやっているあたしの背後に、不審者が近づく。
「ちょっとは落ち着きなよ。まあこのボクの美しさに動揺する気持ちはわからなくないけどね」
キラッとか気持ち悪い効果音させながら、不審者。
「せいやぁっ!」
「ふごふっ」
とっさに不審者の腹に正拳突きかましていた。
「ふ、このボクに暴力を振るうなんて…、君どことなく磨矢ちゃんに似てるね」
「へ? だれ?」
「んじゃ、またね」
「は?え?」
急に後ろにすべるように遠ざかって、窓の外に消えてしまった。なんなんだ?今のは、マジック?
駆け寄って手を触れるけど、ちゃんと窓は閉まっていた。…今の人は一体、何者だったんだ。夢? ならいいんだけど。


「アマツカ…、アイツがなにを考えているかだ」
一人室内でマケンドーが考えるのは、例の人物「アマツカ」についてだ。マケンドーの中には、アマツカを救いたいという気持ちでなく、彼を知りたい気持ちがあった。
アマツカが中央東のオオガワラに仕えるには、なにかしら理由があるはずだ。テンカワを守る為ではないかと思っていたが、彼女はすでにオオガワラからは捨てられた身だ。
「オオガワラに弱みを握られているのか、それとも…、奴に騙されているのか、あるいはまた別のなにかか」
卓上に肘をついて、思案して、ため息をつく。煮え切らない想いがこみ上げる。
「カケリはアイツのことを…」
想いかけるマケンドーのそれを遮るように、電話の呼び出し音が鳴る。
「どうした、カツ」
『マケンドー様、今アマツカ殿から話がしたいと』
「(!ちょうどこのタイミングでか)繋げ」
まさか今考えていた相手から連絡がくるとは、テレパシーでもあるのかと思うタイミングだ。
『こんばんは』
「アマツカか。なんのようだ?」
『個人的に会って話がしたい。都合はそちらに合わせるけど』
「明日はちょうど空いている。場所はこっちが指定するがかまわないな?」
『わかった。明日向かうよ。ただ一人で来てほしいんだ。個人的なことだから。…あの人に干渉されないところで』
声を潜める受話器の向こうの声に、マケンドーも察する。アマツカはオオガワラに逆らえないなにかがあるのだろうと。

『お願い、アマツカを…』『アマツカ君を助けてあげて』
テンカワとカケリ、二人の少女の哀願する顔が、マケンドーの脳裏に浮かぶ。


「やあ」
さわやかに風に髪を揺らされながら、少年が振り返る。
アマツカはマケンドーが指定したとおりの場所で待っていた。若草区内の市街地近くの河川敷。
「そういえば…」
とアマツカが対面するマケンドーからぐるりと視線を遠ざけて、周囲を見ながらつぶやく。
「ここはカケリと最初に会った場所だ。懐かしいな」
初めてアマツカとカケリが接触した場所になる。独り言だが、わざとマケンドーに聞こえる声量でつぶやく。
がマケンドーはそのつぶやきに変に反応するでもなく、「話はなんだ?」と用件を急かす。
「くす…」
ペースを崩される事なく、アマツカは笑いを零す。
「話は…君の事。ボクは君のことが知りたい、マケンドー」
「なに?」
ぴくり、とマケンドーの眉が動く。アマツカの向こう側にオオガワラの幻影を見た。
表情に厳しさを増すマケンドーに反して、アマツカの顔は柔らかく笑む。
「そんなに警戒しないでよ。…あの人の命令じゃない。ただ純粋に、君に興味あるだけ」
優しい笑顔は、大半の者の心を和らげてしまいそうだ。だがそれはマケンドーには効かない。警戒の色は薄まらない。
「(コイツが俺に興味だと?)」
それが事実なら互いに同じことを思っていた事になる。ただ、現時点でアマツカと自分の思いが同質の物とは信じがたかった。
「だから、個人的な感情。…君のことが知りたい。あの人の命令で、君の事を探って、いろいろ知ったよ」
テンカワの言っていた事を思い出す。アマツカはテンカワにマケンドーを頼れと言ったという。
「(コイツは本当に、俺のことを?)」
「あの人との因縁も含めて、どうして若草の区長になったのか。若草にかける想いとか…」
「わかった風な口を聞くな」
「ただ一つ、教えてほしい。…どうしてカケリを馬に選んだの?」
マケンドーの目が細まり、警戒の色を強くする。それを察して、アマツカはにこりとまた笑む。
「若草を勝たせたいなら、他に方法あるのに。どうしてカケリなのかなって。カケリじゃなきゃいけない意味あるのかな? それが知りたい」
「貴様に話す必要はない」
「そう言わず、教えてよ。やっぱり、理由はコレ?」
そう言って、アマツカが懐から出して見せたもの、それを目にしてマケンドーの顔色も変わる。
「貴様!」
アマツカが手にするそれは一枚の写真。カケリを抱きしめるマケンドーが写っていたものだ。アマツカが撮ったものか、別の誰かが撮ったものかはしれないが、それを撮った意図は明らかだ。脅迫の一手に用いる。
「これが世間に出れば、君がどんな目で見られるか…」
今まで築き上げてきたものが、簡単に崩れ去る。切り札をちらつかせて、天使のような美少年は、マケンドーを脅迫している。
それでも…
「俺を脅すか?」
「怖い言い方しないでよ。ただ、教えてほしいんだ。君が、カケリを馬にした本当の理由」
「……」
「教えて、誰にも言わないよ。あの人にも、…カケリにもね」
「絶対に教えん。お前にも、誰にもな」
屈しない心。屈しない眼差し。マケンドーの強い決意を感じ、アマツカはあきらめたように、小さく笑った。
「誰にも…か、カケリにも…てことか。まあいいや、今日はムリに聞かない」
笑顔のまま、アマツカはそう言って写真を懐へと戻しながら、後ろ向きに歩き出す。
マケンドーの決意の強さを知り、今回はあきらめる事にした。あくまでも今回で、アマツカの無邪気な表情からは落胆は欠片もなかった。少しずつ距離が離れていく二人。緊迫した空気は続きながら、間を風が駆け抜けていく。
「アマツカ! 俺もお前に聞きたいことがある」
離れ行く足をマケンドーの声が止める。
「お前がオオガワラについていくその理由はなんだ? あの男を恐れる理由があるのなら教えて欲しい。理由しだいと…、それからお前が望むなら俺はお前を」
「…マケンドー。君にボクはわからないよ」
拒絶する返答。人形のような無表情になったかと思えば、すぐにいつもの柔らかい笑顔になる。後ろ向きに歩きながら軽く手を振るアマツカ。彼もまた真の想いをマケンドーに語る気はないらしい。互いに、自身の芯にあるその想いを、絶対に語ろうとはしない。

アマツカの背を見送り、マケンドーは一人佇む。目を伏せて、なにかに想いをはせるように静かに息をする。
「(師匠…)」
マケンドーの脳内に流れる景色は八年前のある日の風景。師匠から厳しく叱られ、自信をなくしかけていたどん底のころだった。優秀すぎる兄を追いかけねばというプレッシャーと、周囲の罵倒、認めてもらいたい師匠からは褒められる事はまったくなく、失態をさらし恥ずかしい思いをするばかりだった。
この世で自分ほど情けない人間はいない。真剣にそう悩んでしまうくらい落ち込んでいた。今は自信の塊の男のように見られているマケンドーからは信じられない姿だが、不屈の精神を手に入れるまでの彼の道のりはけして短くはなかった。
カクバヤシ家の者として強くなければならない。徹底して厳しくしつけられてきたが、兄のようにはなれず、家族からも見放されていた。
ボロボロで、情けなくて、必要とされない自分が悔しくて。だがあがけばあがくほど上手くいかずドツボにはまる。十二歳の抜け殻のようになっていた当時のマケンドーは、ここで息を吹き返した。それはとても些細な出来事だったが、それは彼にとっては転機とも言える大きな出来事だった。

「誰にも教えんさ、誰にも…な」
一人つぶやく。八年前のあの日のあの数分の出来事を。自分の中にだけ、強く強く刻み込む。


耳鳴りが聞こえてきそうなほど静かな空間。中央の寝台の上にアマツカが横たわる。白衣の男が、アマツカへと近づき声をかける。
「まだそこまで進行してないが、いいのかい? 今すぐに切ってしまっても…」
名残惜しくはないのか?と白衣の男がアマツカに訊ねる。それは彼の足を指しての事だ。アマツカは表情変えず首を振る。
「はい、おそかれ早かれなることですし。慣れるなら、早い方がいいでしょう?」
にこりと、乱れないいつもの笑顔で彼は答える。
「そうか、じゃあ始めさせてもらうぞ」


テンカワの入院している病室へ、マケンドーが訪れていた。
彼女の退院は近日中の予定らしい。ただ義足が間に合わないので、しばらくは車椅子での生活になる。
オオガワラの元を離れた今、彼女には帰る場所はない。財産はあるが、かつて暮らしていたテンカワの屋敷はすでに彼女の手を離れている。住む場所は、探せばなんとかなりそうだが。
「アマツカのこと?」
「ああ、悪いな。お前の望むような返答はしてやれん」
「仕方ないわ。…ありがとう、区長がアマツカのために働きかけてくれた事、十分感謝している」
「別に礼はいらん。…俺の個人的な感情で動いた部分もあるからな」
「それでも、十分。……私、長いこと誰かを頼れなかったから…」
テンカワが思い浮かべるのはアマツカの顔だ。その顔が幻のように薄らいでいく。
「だから、こうして誰かを頼れるの、すごく嬉しいの。…そのことも含めて感謝しているわ」
「なにかあればカツに連絡すればいい。こちらももしアマツカの件で動きがあれば伝えよう」
「待って! もし、迷惑でなければだけど…」


マケンドーのところへ来て、半年以上経っていて。身売り同然でここへ来て、レースというものに参加させられて。それだけで十分な環境の変化だったけど、またあたしの周りに変化が起きた。
あ、あの謎の不審者はさておいてだけど。
そう、その変化の一つに、あたしもちょっと驚いた。一報はカツさんから聞いた。
「カケリ様、本日よりテンカワさんもこちらで…」
「え? ええっ?」
「よろしく…カケリ」
車椅子姿のテンカワさんが、カクバヤシ家別邸へとやってきた。


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