セイレーンに滞在して一週間、慌しかった頃も終わり、シグルド一行はここセイレーン城で各々の自由を満喫していた。アグストリアの軍隊だのオーガヒルの海賊だのとの戦いの日々から解放された今、ゆっくりと時間がもてた。
ただレックスは苦手だった。いっそ戦いの中にいられたら、いろいろめんどくさいことに悩まなくてすむのにと、個人的な感情にいちいち向き合いたくなかった。そんな彼の日課は闘技場に通うことだった。ここセイレーンの城下町にも闘技場はあったからちょうどよかった。
アホみたいに通いまくったあげく、愛斧が早々に壊れたので修理に出した。直るまでに数日かかると言われて、部屋に戻って寝ようかと移動するレックスの視界にぱてぱてと忙しなく走る見慣れた少女が映る。
「(またアゼルを探してんのか…)」
声をかけるでもなく、遠くからその姿を眺めながら、アゼルを探しているらしい銀髪のポニーテールの少女ティルテュに心の中であきれながら、イラっとしていた。
「おかえりレックス」
前方からの聞きなれた声にレックスは挨拶をかえすことはなく、こちらにはこちらでイラっとしながら鼻息を吐いた。
レックスのいやーな態度にも特に気を乱さないのは、長年親友を続けられる彼ならではだ。
「ほんと好きだね、闘技場。ていうか他にすることがないだけか」
赤い髪の人当たりのいい感じのこの青年アゼルはレックスの唯一の親友だ。いちいち人を、というか主にレックスをいらつかせる天才だが、他の相手には人当たりのいい人に思われているのだから性質が悪い。よく解釈すれば、レックスに一番心を開いているといえるんだろう。そう思うことにしている。
「あっ!」
下の方でこちらを見上げながら声を上げたのはティルテュだ。上の階の渡り廊下から姿をのぞかせたアゼルたちのほうに合図を送りながら、慌てて走っていく。
「お前、あいつに早く言えよ」
「なんのこと?」
アゼルの態度にまたイラっとしながらレックスが「あいつお前の事好きなんだろ? 諦めろってとっとと言っとけって言ってんだ」
「ああーそういえばティルテュにプロポーズされたんだっけ」
思い出したようにアゼルが「ああー」と声を出す。
ティルテュとは幼馴染だ。幼い頃から何度か三人で遊んだ事があったが、ティルテュは口癖のように「おとなになったら二人のお嫁さんになる」と言っていた。いつしかそれは「アゼルのお嫁さんになる」になって今に至る。その最後のプロポーズが三年ほど前になる。アゼルはティルテュのプロポーズにすべて「いつかね」とあいまいな返事で返していた。当時からそれに応えるつもりなどなかったというのに、アゼルはアゼルで幼い時から長年もう一人の幼馴染のエーディンに惚れ続けていたのだから。そのことをティルテュは知らない。ただひたすらに「アゼルアゼル」と犬のようにアゼルにまとわりついていた。アゼルはそんなティルテュに優しくするから、勘違いしてつけあがるだけだ。レックスは一人勝手に二人の関係にイライラしていた。
「ひどいなー、レックスは。ボクにティルテュをふれって? そんなことしちゃったら、ティルテュ傷ついてどん底になっちゃうだろ。レックスはボクを悪役にしたいわけ?」
なんでそうなるんだ、と心に思いつつ。
「ならこれみよがしにアイツの前でエーディンといちゃつけ。いくらバカなアイツでも気づくだろ」
「…バカはお前のほうだろバカレックス」
「なっ」
「どうしてそうバカ思考かなって呆れちゃうよエリートのくせに。ボクにふられて傷ついたティルテュが自暴自棄になったらどうすんの? 前々から言ってるけどさ、レックスがティルテュを惚れさせればいいんだよ。それならティルテュも傷つかないし、ボクも悪役にならなくてすむし、レックスもハッピーでバンバンザイじゃないか」
「はぁ?」
「闘技場に逃避行している暇があるならティルテュとトーキングでもスキンシップでもはかってこいよ」
「うぐっ」
ドンとアゼルに肘打ちくらってレックスが睨むと、アゼルはにやりと笑んでレックスの前から去った。アゼルと入れ替えで下から走ってきたティルテュが肩を上下させ現れた。
「あ、アゼルは、いない。もう待っててっていったのに。聞こえなかったのかな…」
ぷうーと頬を膨らませて、しょぼーんと肩を落とすティルテュ。それは独り言でレックスにはなにも言わずに横を通り過ぎる。
「あいつはお前の相手する暇なんてないってよ」
レックスの嫌な物言いに、ティルテュはぴくっと一瞬耳を動かした。
「アゼルはそんないじわる言うわけないもん」
むっとしながらティルテュは走りぬけていった。いらっとしながらレックスは走り去る足音に顔を背けた。


ティルテュはアゼルと茶会の約束をしていた。白いテーブルの上にはキレイな狐色の焼き菓子が入ったバスケットと、それを囲むように置かれたティーカップは…三つ。
それを手に取るのは、ティルテュとアゼルとエーディン。にこにこと微笑むアゼルとエーディンに反してティルテュだけは納得いかない表情でカップに口を寄せる。
「(一緒にお茶しようって約束したのはこっちだけど、別に二人っきりでなんていちいち言わなかったけど、なんでエーディンも一緒なの?…)」
聞いてないよと心でぼやく。
「ねぇティルテュ、ここにはもう慣れたかしら?」
「え、う、うん、まあ」
「困った事があったらいつでも遠慮なく言って頂戴ね。私ティルテュの力になってあげたいの」
エーディンの言葉にティルテュは理解できず戸惑う。自分の力になりたい?どうしてエーディンがそう思うのだろうか、特別親しい間柄でもないのに。
「そんな、エーディンに迷惑なんてかけられないよ」
「迷惑なんてことないわ。私アゼルからあなたのこと聞かせてもらったのよ。子供の頃よく一緒に遊んだこととか、アゼルあなたのこと妹みたいにカワイイって言っていたから、私もそんな風に思えてきて」
うふふとお姉さん的な優しげな表情でエーディンが微笑む。
「(なんで、アゼルがあたしのことエーディンに話すの?)」
心の中がもやもやする。自分の知らないところで、自分を話題に出されるなんていい気分じゃなかった。それよりも、エーディンとアゼルの親しすぎる空気にもやもやした。
「羨ましいわ、私姉様とずっと生き別れていたからほとんど一人遊びだったもの。アゼルとティルテュとレックスと子供の頃は兄弟みたいに一緒に遊んだなんて話聞くと羨ましく思うわ」
「そういや三人とも上と年が離れているからね。大抵ボクがティルテュ誘ってレックスんちに遊びに行ってたんだよね。ドズルはわりと自由が利いたし好き勝手遊べたから」
「そうなの、楽しい思い出がたくさんありそうね」
にこやかに微笑んで談話する二人の向かい側で、ティルテュの記憶の中では楽しさよりも、別の感情が勝るものを思い起こさせた。
ティルテュの人生の中で最悪の記憶、あの瞬間に大好きから大嫌いに変わったあの事件。思い出すだけで全身の毛が逆立つ。ああもう腹が立つ!
「楽しいことばっかりじゃないよ別に」
不機嫌なオーラを放ちだしたティルテュに、あっと申し訳なさそうにエーディンが謝る。
「ごめんなさいね、いやな事思い出させちゃったみたいで」
悲しげな顔になるエーディンに、ティルテュもはっとなる。
「ううん別に、なんでもないよ。あ、ごめんね用事思い出しちゃったから、あたし失礼するね」
限界を感じたティルテュは慌てて席を立つ。思い出したらイライラして八つ当たりなんてしたら最悪だ。自分から誘った茶会なのに、しかもエーディンも一緒になるなんてそこからして予定外だし精神的にめいっぱいだった。


城内の庭園を歩きながら、エーディンとの会話で思い出した嫌な記憶に脳内一色にされたティルテュはムカムカしていた。
幼い頃、遊び友達のアゼルに誘われてレックスと三人で会うようになった。以前からレックスと親しくなりたかったティルテュは嬉しかった。年上でカッコイイレックスが好きになった。また妹のエスニャも彼に憧れていたこともあり、内気で外に出られない妹の分まで仲良くなりたいと思った。
三人で遊ぶ時は、いつもアゼルが中心にいて、無邪気なティルテュとクールなレックスの中和剤になっていたことが上手くいったんだろう。あくまでアゼルがいて上手くいった関係だった。アゼルとレックス、アゼルとティルテュこの両関係は上手くいこうとも、ティルテュとレックスの仲は次第に悪いほうへと走り始める。
レックスはティルテュにいじわるだった。優しくする事がなかった。ことあるごとにティルテュに対して「子供」だの「チビ」だの「弱虫」だの暴言を吐いてバカにしていた。そのたびにティルテュはムキになり、レックスにつっかかっていった。いつしかティルテュはレックスを大嫌いになり、アゼルが好きだと公言するようになった。レックスはそんなティルテュをますます煙たく思い、二人の関係の亀裂を決定的にしたのがあの日の事件だ。
レックスにバカにされてティルテュは湯気立ち上るほどに怒り飛びかかった。そのティルテュに対してレックスは力で、腕力でねじ伏せてしまったのだ。子供のけんかと言ってしまえばそれだけだが、その件がティルテュの中で深い傷を残すことになってしまった。アゼルが離れていたすきの出来事で、アゼルが二人の元に駆け寄った時、レックスに地面に押さえつけられ、泣き喚くティルテュという図だった。
あの日を境に、二人は完全な敵対関係となり、ケンカどころか互いに関わることを避け出し、存在を無視するようになった。
だのに…。オーガヒルで再会した時に、先に絡んできたのはレックスのほうだった。
『なんで能無しがここにいるんだ?』
実際はあからさまに嫌がる素振りを見せたティルテュが原因ともいえるのだが。
クロードに同行して、シグルドたちの軍に身を置く限り、イヤでも視界に入る機会は増える。互いに避けても、アゼルという共通点がそれを阻止するのだから皮肉なものだ。
思い出してティルテュはムキーーと周囲の草を引っこ抜いて振りまいた。先ほどの嫌味も嫌なほどに脳内でリピートしまくり、ますますむかついてしょうがない。

「ふっ!ふっ!ふっ!」
庭園内で、茂みの向こうから聞こえてきたのは、規則正しく発せられている男の低い…掛け声?!
「なに?」
首をかしげながら、ティルテュは声のほうへと向かった。
声の発生源は…、汗に光る筋肉を規則正しく動かしている、筋トレに励む大男。シアルフィの重騎士アーダンだった。太く鍛えられた腕は、ティルテュの腰周りよりも…はるかに太いかもしれない。
一心不乱に筋トレに励むアーダンをしばらくティルテュは見入ってしまった。
「すごい…」
思わずもれたその感想に、向かい側から同意する声が聞こえてきた。
「へーー、いい体でがんばっているじゃないか」
窓枠からひょいと足をかけ、中庭へと降りてきたブロンドが揺れる美女。一見エーディンかと見紛うが、雰囲気からしてまるで別人だ。それもそのはず彼女ブリギッドはエーディンの双子の姉だ。美しい金髪も、普段から手入れされているエーディンの美しさとは違い、彼女のそれは健康から発せられるものである。それに体つきも、海賊として鍛えられてきたその体はほどよく引き締まり、がっちりといい筋肉で纏われている。にかっと笑い白い歯がキラリと光る。ブリギッドに声をかけられると、慌てて体を起こそうとするアーダンだが、ブリギッドは「そのまま続けな」とトレを続けるように言う。
「(そういえば、あの人…)」
ブリギッドを見てティルテュが思い出すのは、シレジアに向かう船内での事だ。
ブリギッドもティルテュやクロードとほぼ同時にこちらの軍に加わった。エーディンの生き別れの双子の姉であり、彼女との再会と聖なる弓イチイバルの力によって彼女は失った記憶を取り戻したという。
それはさておき、ティルテュの中で印象強いのは、シレジア行きの船内での出来事だ。ブリギッドはおおらかで物怖じしない、悪くいえばなれなれしいタイプだった。大抵の人間とすぐに打ち溶け合うが、合わないタイプもいるわけで。出会って早々レックスと悶着あったのだ。
『生意気なボウズだな』
にやにや笑いながら、余裕のブリギッドに斧騎士で体格もいい男のレックスが押し負けたのは大きな衝撃だった。ティルテュが長年果たしたくても果たせなかった事を、このブリギッドは数秒でやってのけたのだ。
悔しい…、そう強く思ったのと同時に羨ましく思った。

「まだまだですよ。もっと強くならねば、闘技場で勝てませんから」
ふっふっと規則正しい呼吸音をさせながら、アーダンが答える。
「闘技場か、そういやはやってるよな。みんなよっっぽど好きだよな」
にまにまとめいっぱいのにやにや顔でブリギッドが頷く。「あたしもそうだしなー」と。
そう、闘技場ははやっていた。アーダンやレックスに限らず、ここセイレーンにきてから、平穏な日々をかえってもてあまし、闘技場に通う者は少なくなかった。


「おっ、いいにおいがするね〜」
鼻をひくひくさせながら、ティータイム中のアゼルとエーディンのもとへとやってきたのはブリギッドだ。
さきほどまでティルテュの座っていた席へと腰掛け、カップを手に取る。口元まで寄せて「あっ」と気がつき声を出す。
「これだれかの飲みさしじゃないか」
「あっ、それさっきまでティルテュが」
「お姉さまのお茶、今から淹れてくるわ」
エーディンが新しいカップを用意して、お茶を淹れる。
「ティルテュって、あーあのかわいこちゃんか」
さんきゅとエーディンに礼を言い、お茶を一口で飲みほして、よっと声を出して立ち上がるブリギッド。
「ごっそさん。んじゃまた行ってくるかな、闘技場に」
「ブリギッドも好きだねぇ…、レックスと一緒だねぇ」
「レックスか、そいや見ないけど今日も行ってんのか?」
「いやいや、あいつ武器修理に出してて、当分行けないって引きこもってるよ」
「はっはっはなんだそりゃー、あいつ闘技場しか行くとこねーのかよ、カワイソウだな」
「うんそうなんだよね。その上好きな相手に超絶嫌われちゃっているからね、それは自業自得なんだけど」
とブリギッドとアゼルの間でレックスの悪口談義に花が咲く。ちょっと酷い…。
「好きな相手って…、ひょっとしてあのかわいこちゃんか? そういや険悪な感じだったよな。
おもしれー、あとでからかいにいってやろうかな」
にまにまと楽しげな意地悪げな笑みを浮かべるブリギッドに、「だめよ姉様ったら」とエーディンが注意する。
レックスとブリギッドは以前もめた事もある仲だし、二人の接触はできるだけ避けたいと思うエーディンだ。


日が経つのがこんなにも長い…。
クソ暇すぎる。自室でごろごろしても体が鈍るだけだ。暇つぶしも兼ねてどこか筋トレでもできる場所はないかとレックスは城内を歩いた。できるだけ人目につかない所がいい。だれかに絡まれるのがわずらわしいのだ。特にブリギッドには関わりたくない。苦手だ、レックスはアゼルの恋人のエーディンも苦手なタイプだったが、そのエーディンとは真逆のタイプであるブリギッドはもっと苦手だった。あの図々しくもがさつな海賊女性格からして受け付けない、がそれ以前に、…あの女に敗北した。プライドの高いレックスにとって相当な精神的なダメージになった。しかもみんなの見ている前でだ。笑っていた者もいたが、レックスに同情していた者も多くいた。
レックスの敗北はけして恥ずかしいことじゃない。ブリギッドの力は群を抜いていたのだから。レックスでなくても、一流の騎士でも、力自慢の戦士でも、腕の立つ傭兵でも、彼女に一ひねりにされるだろう。荒くれ者の海賊達を束ねていた長だった彼女は、海でも…陸でも強かった。そして現在、ここセイレーンの闘技場で他を寄せ付けない地位に早くもついてしまったのだ。

「はぁ…はぁ…はぁ…」
城内の中庭の隅っこから、植木の向こう側から、少女らしき荒い息声が聞こえレックスは足を止めた。そこは日陰になって休憩にもトレーニングにもよさげな場所だった。
「だめですよ、むちゃしちゃー」
男の声も聞こえてきた。その声の主はアーダンで、彼がムチャしてーと言っている相手は…、そこにぺたんとへたり込むティルテュであった。
「(あいつなにをして…)」
木の影に隠れながら、気になる相手の様子を窺う。
ティルテュは汗だくで、芝生の上に尻をつきゼイゼイと息を荒げていた。
「だめ、もっとがんばらなくちゃ、あたしだって…強くなりたいんだもん」
と言いながらも、体は限界のようで腰を上げることすら困難だった。そういうティルテュにアーダンは困ったようにほとんどない眉を寄せる。
ティルテュはアーダンに頼み込んで、トレーニングを一緒にやっていたのだが、アーダンのハードなトレーニングについていけるはずがなく、情けなくも息を上げてしまったのだ。
「そのお気持ちはわかるんですけど。でもティルテュ様は魔道士ですよね。別に筋肉つける必要ないんじゃないかと」
魔道士の強さに戦士のような肉体は必要ない。俊敏さは重要だが、重いものを扱う為のような筋力はいらないのだから、それよりも魔道の才こそが重要だ。がティルテュは首をぶんぶんと横に振る。
「魔法じゃ意味がないの。力で対抗しなきゃ、絶対にボコボコにしてやるんだから」
「そんなに…きらいな相手なんですか?」
「だいっキライッッ!!」
「(俺のことか…)」
名前が出なくても、レックスは己のことだとすぐにわかった。

レックスは出会った頃からティルテュが苦手だった。苦手な相手が多すぎるわけだが、レックスは根っからの人付き合いが苦手なタイプだ。クールというより薄情だと思われるタイプだ。困っている相手に手を差し伸べるなどという事はしないというかできない。だからどちらかといえば、人になつかれないタイプで近寄りがたいと思われる。レックス自身、必要以上に人に関わる事をしない。そんな彼に踏み込んできたのがただ一人アゼルである。レックスを誰よりも知り、悪態つきながらもかまうのはアゼルだけだ。
ティルテュはどこかアゼルに似ている。似ているが、違うのは、ティルテュは純粋すぎたこと。言われた事、見たままの事しか信じない。アゼルのように、言葉の裏を探り、理解できない。だから、レックスとわかりあえず最悪な関係になってしまった。あの事件以来、ティルテュはこれみよがしに以前よりもアゼルに甘えるようになった。
『アゼルはレックスとちがって優しいもん』
優しいってなんだ? 幼い頃からエリートとして、厳しくしつけられてきたレックスは、甘えた経験がなかった。だから甘えられる事になれなかった。厳しい言葉や態度でしか返すことができない。
あの事件…、あれはどうしてあんなことになったんだろうか…。いつものように、レックスはティルテュにいじわるな発言をした。なにを言ったか詳しくは思い出せないが、いつも以上にティルテュは怒り喚いた。おそらく父親の事だか家族の誰かに関することだかのように思う。きっと言ってはいけないことを、ティルテュに対して言ってしまったのだろう。いつもとは違う鬼気迫る顔で、ティルテュはレックスに飛び掛ってきた。レックスは反射的にティルテュの両手を締め上げ、地面に押し付け動きを封じた。年下で小柄な少女のティルテュを押さえつける事は容易だったが。怒りの形相から一変、レックスに押さえつけられたティルテュの目は脅えるものになっていた。ズキンと胸が痛んだのを覚えている。だがその先どうすればいいのかわからず、泣き喚きだしたティルテュをそのまま押さえつける事しかできなかった。ただならぬ泣き声に気づいて、アゼルがかけて来た。
「なにやってるんだよ、レックス!」
アゼルに怒鳴られて、レックスはティルテュの上からどいた。ティルテュはアゼルにしがみつきながらなおも泣き続けた。
「だいっキライ! レックスなんか大嫌いッッ!」
今までいじわるを言うたびに何度も「キライ」と言われた事はあったが、本気ではなかった。だがさすがにこの時のティルテュのレックスに対しての「大嫌い」は…、いくら感情面に疎いレックスにもわかった。本気で嫌われたのだと。その後、ティルテュはアゼルやドズル家の侍女たちがなんとかなだめ、家へと帰らせた。そしてレックスはアゼルに説教されたのだ。
「いい? いくらティルテュが悪くても、それを力でねじ伏せるなんてしちゃだめだろ。お前の口はなんのためについてるんだよ!? 少しは優しくしてやるようにしてやんないと、ティルテュどんどんレックスのこと嫌いになってくよ?」
嫌われようがどうでもいい。そう言ってレックスはアゼルの言うとおりにはしなかった。ティルテュに謝る事も。
どうでもいい、嫌われようが関係ない、こっちこそ嫌いだからな、と。レックスがその態度を続ける限り、ティルテュとの仲は険悪になるしかなかった。
ただレックスは自覚してないだけで、心の底からティルテュが嫌いなわけではなく、アゼルの指摘なら逆に好いていることになる。しかしレックスはそれを認めることはなく、いつも脳内でもティルテュのネガキャンを続ける。言い聞かせるように。


「おもしろーい、見て見てアゼル! シレジアって変わったおもちゃ売ってるんだね」
セイレーンの城下町をティルテュとアゼルは歩いていた。昨日はレックスのことを思い出してイライラして最悪だったティルテュは、嫌な気分を吹き飛ばそうと、今朝アゼルをデートに誘った。アゼルは内心困ったが、二人のやりとりを聞いていたエーディンが快くすすめてくれたのだ。ティルテュにとってアゼルはエーディンにとってのブリギッドのような存在だとエーディンは思っている。
「(他の女の子とのデートに、やきもちの一つくらいやくとかしてほしいよ。…いや信頼されてるってことかな、うん)」
心の中で落ち込みつつ、なんとかポジティブに解釈するアゼル。ブリギッドと再会する前のエーディンだったら、自分が他の女性とデートなんてしたら寂しそうな顔を見せたかもしれない。がブリギッドがいる今のエーディンは精神的にも落ち着き、以前のような儚さもなくなった。ブリギッドの存在が彼女にとってどれだけでかいか、なんて深く考えたら落ち込みかねないのでやめることにした。
はしゃぐティルテュを後ろで見ながら、アゼルはやれやれと思わずにはいられない。
ティルテュが自分に執着するのにはワケがある。アゼルはそれに気づいていた。ただストレートにそれを指摘すると、後処理がめんどうそうで、できることならレックスが…いやティルテュにも変わってもらえるのが望ましい。
「わぁ、キレイ…、いいなこれ。ねぇねぇアゼル」
ひょこひょこと露店を見て歩いていたティルテュがある店舗の前でなにか目当てのものを見つけたのか、アゼルを手招きで呼んだ。
「いいでしょ、これペアリング、一緒に買お。おそろいにするの」
ティルテュがすすめるのは中央に石のはめ込まれたシンプルなデザインながらもキレイなペアリングだった。いやデザインがどおのこおの以前に、おそろのアクセサリーなど正直ごめんだ。という気持ちが一瞬出てしまった。
「え、いやいやいや」
「なに、…そんなにイヤなの?」
「ああごめん。…ちょっと趣味じゃないかな」
「ウソばっかり…」
ティルテュの指摘にアゼルは「あっ」となる。ティルテュが選んだそれはアゼルの好みのデザインだった。がその指摘にアゼルは大して動揺しない。
「でもそれティルテュの趣味じゃないよね? ムリしてボクの趣味に合わせる必要なんてないんだからさ」
「ムリなんてしてないよ、だってあたしアゼルのこと好きだし…」
「レックスと違って優しいし?」
ティルテュの表情が強張る。
「ムリなんてしてるよ。ムリして楽しいふりしているし、ボクのことも好きじゃなきゃって言い聞かせてる」
「違う! 絶対にそんなことないもん!」
涙目でティルテュは反論する。頬を震わせながら声を張る。
「ティルテュ落ち着いてもっとよく自分の気持ち考えなきゃ。ティルテュはいつもボクのこと好きだって理由に、レックスと違って優しいから、レックスと違っていじわるじゃないからって、必ずつけてるんだよ。それってさ、レックスっていう理由がなきゃボクを好きになれないってことじゃないの?」
「違うッッ! あたしはレックスなんて大嫌いだからッッ!」
涙声の混じった怒声。先ほどまで子犬のようにはしゃいでいた少女は、今は猛犬のような表情で震えている。なだめる時間さえ与えずに、そう叫んでからティルテュはアゼルの前から走り去った。
あちゃーと額に手を当てながらも、アゼルはしくったとは思ってはいなかった。というか…、ティルテュはおもいきりアゼルの言ったことを肯定したのだということに、発言した当人は気づいているのやらどうなのやら。

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