「カタリナさん、お仕事を頼んでもよろしいでしょうか?」
書物の山を抱えながら、カタリナへと近づきながら声をかけたのは僧侶のリフ。
「はいリフさん。私にできる事ならなんでもします。遠慮なく言って下さい」
「ではお言葉に甘えて。…、こちらの魔道書なんですが、もう使うことがないそうなので、倉庫のほうに運んでいただけますか?」
リフから書物を受け取りながら、カタリナは「はい」と頷く。
「そこにダロスさんがいますから、ダロスさんのお手伝いをしてあげてください」
「ダロス…」
馴染みのあまりない相手でありながら、カタリナはその名前には馴染みがあった。

アリティア城地下の倉庫、城内に倉庫は何箇所かあるが、カタリナが向かったそこは一番使われていない物置き場になる。すぐに必要でないものばかりなので、重要性はさほどない。賊に入られる心配以前に、賊も狙ってくれるようなお宝はまずない。壊れかけの武器やら、だれかが拾ってきたおもちゃの弓など処分に困ったものの仮置き場のようなところだ。カタリナがアリティアにいた期間はわずかだが、一度はここを調べた事がある。ろくなものなどなかったがらくた置き場。埃に咽た記憶があるので、入る瞬間息を止めた、が思っていたほど埃ぽい空気ではなかった。すでに中で掃除をすませていた者のおかげか。狭い倉庫内で、その背中は必要以上に大きく見える。大きな肩や腰が忙しなく動いている、このけして広くない空間で。
カタリナはその背中の人物の名を、ぽつりとつぶやく。
「ダロス…」
ぴくりと丸まっていた背中がそのつぶやきに反応するように動いて、下を向いていた顔が起き上がって見えてきた。いつものように、白いバンダナを頭に巻いたいいガタイの男。デカイ体に反して、にこりと笑う子供のような無邪気な笑顔。
「やあ、君はカタリナだね。なにか用かい?」
「あの、リフさんに頼まれて、手伝いに来ました」
「本当かい? ありがとう助かるよ。それは魔道書だね? それならそこの、箱のところに置いといてくれるかい」
カタリナの足元付近に書物をまとめた箱が置いてあった。それぞれラベリングされてあり、一目でなにかわかりやすく分類されていた。まるで輸送隊の倉庫みたいだ。ダロスに言われたとおり、カタリナはそこにリフから渡された魔道書をおろす。倉庫内を簡単に見回してみた。以前より片付いていた。元々キレイな場所ではなかったが、埃が見えなくなっただけでかなりすっきりして見える。アカネイア軍がここを掃除していたとは考えにくい、おそらくこのダロスでも片付けてくれたのだろう。しかしアリティアをアカネイアより取り戻したのはつい先日のことだ。この短期間にと思うと半ば呆れのように感心する。
「全部ダロスが?」
ぽつりと訊ねるカタリナに、ダロスは「ああ」と明るく答えてきた。
「まあね、ボク元々雑用向きだろからね。掃除は得意なんだ」
とても、雑用向きな体格には見えないのだが。
「そうですか。周りの噂と少し違う気がします。あなたは戦いで真価を発揮するタイプだと思ってました。私の知り合いもあなたはとても強いって、憧れる強さだって褒めてました」
噂はけして間違っていない。ダロスはパワーが持ち味の斧使いだった。大きな斧をパワフルに振って戦う。一撃必殺も得意だったりする。もりもりと盛り上がった筋肉は修羅場を潜り抜けてきた歴戦の戦士の証。前のドルーアとの戦争で、ダロスは初めて戦いに身を投じたのだが、その中でみるみる力をつけていき、最前線で戦えるまでに強くなった。巨大なドルーアの竜族を相手に、ダロスは斧一つで戦った。またパワーだけでなく、ダロスはどんな攻撃も受けきる鋼の防御も持ち味だった。先陣をきるだけでなく、弱い仲間たちを守る為なら、いつでもダロスは仲間の盾として立つ。前の戦争を共に戦った戦友たちも、ダロスの強さはみなが認めていた。鬼神のごとき戦場のダロスを知るものは、本来のダロスをよく知らない者も少なくはない。普段の彼はとても気さくで、人懐っこく、優しい人物だ。資金稼ぎのために闘技場にもよく通ったが、ダロス本音はすごく嫌だった。闘技場怖かった。いや闘技場に限らずダロスは暴力とか戦争とか苦手だった。今だって、マルスとの縁がなかったら戦争に参加してなかったはず。ガルダの港町で、戦争が終るのをびくびくと待っていただけの一住民でしかなかったかもしれない。フレイムバレルで、マルスと再会し、彼から強く求められた。ダロスはそれが素直に嬉しかった。戦う事は嫌いだが、大切なもののためになら、ダロスはそれを我慢できる。
「あはは、まあ噂ってどんどん大げさに広がっていくものだよね。ボクよりも強い人は他にもたくさんいるし。そうそうサジたちって知ってる? タリス出身のきこりでボクと同じ斧使いなんだけど、すごいんだよ。まさかほんとうにカチュアたちのあの技を習得しちゃうなんてさ。よっぽどだよ。よいしょっと、あ、そこにまとめてあるやつ、紐でしばっといてくれる?」
「あ、はい。…。でもそんなことあると思います。私も、あなたが戦っているところ見ました。とても強い人なのだと思いました。マルス様を守りながら道を切り開く、そしてシーラの盾となりながら、彼女のサポートを立派に務めていました」
アリティアをアカネイアから取り戻した直後、マルスを暗殺者が襲った。その暗殺者がカタリナたちだった。カタリナはマルス暗殺の命を受け、軍師見習いとしてアリティアに潜り込んだ。その時騎士志願としてアリティアへとやってきたシーラと出会った。田舎者で人を疑わない少女シーラをカタリナは利用しようと思って近づいた。名前と身分と目的を偽って、シーラとともに第七小隊に配属されて、ライアン、ロディ、ルークらと行動を共にした。
みなで知恵を絞り、力をあわせて目的をなす。アリティア騎士への試練はけして易しいものではなかったが、第七小隊からは脱落者が一人も出なかった。
カタリナがアリティアに所属していた期間は短い。カタリナの人生にとってもそれはわずかな期間のことだった。だが、とても濃い記憶ばかりがある。
「ボクは途中参加だから、カタリナたちのこと詳しくは知らないけど、わけがあって暗殺者の味方をしているんだって、だから絶対助けたいんだって。シーラがあそこまで真剣になるんだから、カタリナって子はシーラの大切な友達なんだろうなって。シーラはボクなんかのこともいつも気にかけてくれているし、力になりたいと思ったんだ。それにリフさんも、君の事を救いたいと願っていた。ボクの信じた仲間たちの想いをボクも信じたんだ」
シーラの必死の説得で、カタリナは心を開いて仲間になった。
第七小隊にいたとき、シーラたちと喜びを共にしながら、心の中でかりそめのものなのだと言い聞かせて。いつのまにかそれが苦しい想いへと変わってしまったのは、その想いが些細なものではなくなってしまっていたから。無意識に零れてしまった涙を見られて、シーラにずいぶんと心配をされたこともある。なにも知らないで騙されてと、彼女を哀れむ一方で、胸の奥から熱くなる別の感情も感じていた。
暗殺者として生きてきたカタリナにも、絆と呼べる存在はあった。同じ孤児仲間のクライネやローローたち。だけどみんな、任務に失敗して消えてしまった。自分も同じように消えようと思った。あの時、シーラの手で殺されようと願った。それなのに、彼女は武装を解いて説得を続けた。胸の奥底の封じ込めていた熱い感情が湧き出してきて、止められなかった。命を狙った、信頼を裏切った、許されないことをした、わかっているからこそ罰を望んだというのに、シーラもマルスもカタリナを温かく迎えてくれたのだ。
マルスや皆が許してくれても、カタリナは自分を許すことができなかった。その罪から逃れる事はできなくて、罰を求める。

「ダロス、お願いです、私を殴ってください!」
突然のカタリナの発言にダロスはえ?と一瞬固まった。目を丸くして、もう一度「ええっ」と声を上げた。
「ちょっと待って、どうしたの」
胸元でぎゅっときつく手を握り締める。行き場を求めるもやもやとした感情、それをなんとかしたい。
真剣な眼差しのカタリナに、ダロスは面食らったが、少しして彼女の気持ちに気づく。
罪の意識。良心の痛み。ダロスにもそれは痛いほどわかる気持ちだ。ダロスにとって永遠に忘れる事ができないであろうある人物がいた。ダロスを戦いへと巻き込んだ張本人ともいえる。その者はゴメスという名の海賊の男だった。
「あなたはよく知らないかもしれない、でも私は悪い事をしたんです。とても、…許されないようなことを。だから、殴ってください。ダロスあなたは私とは真逆の存在です、だから」
「カタリナ…」
「だれでもいいわけじゃありません! シーラの…大切な人だから…、だからそうしてほしいんです!」
ぎゅっと固く目を閉じながらカタリナは叫んだ。かすかに震えながら、歯を食いしばりながら。
「君もシーラにとって大切な人だよ。自慢じゃないけどボク力あるから、軽く殴っても大怪我させちゃうかもしれないし、女の子ぶったりしたらカチュアにボッコボコにされちゃうから、勘弁してほしいなぁー」
カリカリと後ろ頭をかきながらダロスが軽く笑った。それに、とダロスが続ける。
「そんなことで君の罪が消えるわけでも、胸の痛みがなくなるわけでもないと思うんだ。その痛みは、悲しいけど残ることになるよ。だから、…忘れない事」
ぽん、と大きなダロスの手がカタリナの頭をなでる。
ぽかんとした顔でカタリナが顔を上げると、背後で聞きなれた声が響いてきた。
「あカタリナここにいたんだー。あたしも手伝うよ!」
振り返ると、そこにいたのは元気な笑顔の少女…シーラがいた。
「やあシーラ、君も一緒に手伝ってくれるのかい? 助かるよ」
「まかせてダロス!」
嬉しそうにシーラが駆け寄ってきた。さあやるぞー、おーと声を合わせる二人を見ながら、カタリナは立ち尽くす。
「ほら、なにやってんの、カタリナも一緒にやるんだよ」
にこにこと微笑みながら手招く二人を見ながら、「ああ」とカタリナは独りつぶやく。
「シーラがダロスを好きになったの、わかった気がします」
「へ? やだなにを今更、ダロスがステキなことは20年前からわかっていたことでしょ」
「シーラ君何歳なんだよ。あ、そうだカタリナも、いつかボクの船に乗りに来ない?」
「え…いいんですか? 私が」
「もちろんだよ」
「カタリナ、戦いが終ったら一緒にダロスの船乗りに行こう!」
「……はい」
嬉しそうに指切りをする少女二人を眺めながら、ダロスは心の中でつぶやく。
「(帰ったら急いで船、修理しないとね…)」


BACK  2011/1/2UP