頭の中でぐるぐるしていたのは、あのCAFETENでコーヒーを注ぎ、俺のコーヒーを飲め!とかわけのわからんキレ方をしているわけのわからんテンの姿。
Cエリアに戻ってきたあたしは、肩に力入らないくらいがくりとしていた。

あのテンが、ハチャメチャバイオレンスな自称愛のテロリストが
おばあちゃん「タカネ」がすべての、自称タカネの恋人のテンが・・・

記憶喪失、あたしのことや、それにテンにとってすべてだったはずのおばあちゃんのことも忘れていた。

なんだこのモヤモヤした嫌な気分は、なんというかスッキリしないというか
あんなにあたしを振り回して巻き込んで、もう
うんざりしていたはずなのに

おばあちゃんへの愛を語らないどころか忘却の彼方のテンなんて、テンなんて
テンじゃない!
それになんて無責任なんだ?

引っ張るだけ引っ張っといて、急にほったらかし状態ですよ、こんなの。

なんて自分勝手すぎる怒りとも少しは思うけど、死なないとは思いながらもあたしはテンを見捨てたのだし。

「なにかあったの?リンネ」

「はっ、えっあっいえ別にっ」

ビケさんの前でぼーっとするなんて、あたしは・・・

テンのこと、ビケさんには言いづらい・・・、Z島でのことを思い出すと余計に。
それにビケさんもテンのことを話題にすることは一度もないし、あたしも、なんだか怖い。

テンのことを聞くと同時におばあちゃんのことも出てくるわけだし
ビケさんの口からおばあちゃんの名前がでるだけで、また妙な不安に襲われそうな気がしたから。

「リンネ、いいものあげるわ」

「へっ、ふえっ」

そう言ってビケさんはあたしの口の中になにか錠剤を放り込んだ。
なにかわからずそのまま飲み込んでしまった。けど今のなに?

「ビケさん? 今のはなんですか?」

ビケさんはにやりと笑って
「媚薬よ」

「えっ、ええっ?!」

び、媚薬って??

ど、どうしてそんなものをあたしに?ビケさん?
もしかして、薬に頼らないとダメなくらいあたしの体は物足りないものということなのですか?
とショックのあたしに止めを刺すように

「正直その体じゃ満足できないのよね」

「えっ・・・そ、そんな・・・」

「私も、もう一人の私もね」

え?どういう意味ですか?それは・・・ビケさん?

「それから、あなたの中のもう一人もね」

ああ、なんだか意味深なことを・・・
あたしを映したその瞳が優しく笑って、あたしはそれに完全に捕らわれてしまっている。
いっそその美しい水晶の中に、あたしを永遠に閉じ込めておいてください。

薬の影響か、段々と体の奥が熱くなってきて
瞼が重たくなっていって

なんてこったい
ビケさんがあたしに触れてくれているのに、段々とあたしの意識は遠い世界へと旅立ってしまった。


それは、ぼんやりとした夢の中のような
だけど、どこかハッキリと聞こえてくるような、見えているような
体が激しく息をしているのも、動きの疲労も伝わっている。
視界は激しくぶれながら、まるで鳥のように、いや猿のように、犬?猫?とにかくあたし的にはありえない動きで、室内を飛び回っている。
壁に、柔らかいベッドの上に、窓枠に、カーテンに足指で掴むようにして駆け上りながら
天上すれすれに舞い上がり、そして瞳に捕らえるのはビケさんの姿で

「おっらーー!沈みやがれー!」
そんな叫びを上げながら、あたしは(一体どこから持ってきたのやら)木刀をビケさん目掛けて振り下ろす。

!!バッ、なにしているのーー、ダメーー!

それはあたしの心の叫びで声にならない、夢だから仕方ないにしても。

あたしの心配など無用のように、ビケさんはそれをさらりとかわして
!?なぜかビケさんの手にも木刀が握られていて、あたし目掛けて振られた。

それを直前のところで木刀で防ぐ、両腕にその激しい衝撃が伝わってきた。
それを受けてすぐ、後ろへと飛び下がり、乱れる息を整えながらあたし?は笑った。

「しょべー、相変わらずしょぼすぎるぜ、こいつはよー」
なんて下品なセリフ使いで、ゲラゲラと息を切らしながらも下品に笑うあたしに

「薬の効果もこの程度ね・・・暇つぶしにもならないわ」
少し呆れたようにつぶやくビケさん

「こんな体に生まれかわらなければな・・・くそっ。

だいたいなんでこいつが俺様の器なんだよ。せめてあいつならな・・・

もっとこいつを鍛えねーと話にならねー。金門のやつらもぬる過ぎるぜ」




「うっ・・・い、いたた・・・」
目が覚めるとベッドの中で、あたしは体中の痛みに襲われていた。

「うわっ・・・なんじゃこりゃー」
痛みに耐えながら、体を起こして確認すると、またさらに体に痣が増えていた。
本当に覚えがない・・・・・・あの変な夢?

まさか、あれが現実なわけないし、あんな夢を見ていたから寝心地悪くて、へんなとこぶつけまくったのかもしれない。きっと、きっとそうなんだろう。

はぁ、だいたいなんであんな夢ばかり見てしまうのだろう。
どうしてこうビケさんとラブラブラブな夢じゃないのよ、バカーン。はぁ・・・

はぁー・・・・・・

「朝からずいぶんお疲れのようね、リンネ」

ハッ!そのステキな声は!あたしの目は一気に覚める。

「ビケさん!おはようございます!」
しまったあたし寝起きのままの顔なのにっ、変な物ついてないか急いで顔を触る。
そんなあたしにおかまいなしに近づいてきてビケさんは、まだベッドの上で上半身を起こしたままのあたしのすぐ横へと腰掛ける。

「おはよう。あら、ずいぶんと痛々しいわね」

あたしの剥き出しの二の腕の痣を見てそういうビケさん。
うわぁぁぁ、恥ずかしい、こんなこんな体でごめんなさい。

「あの、寝ている間にどこかで打ちつけたみたいで」

「ふーん、そうなの」

寝起きの顔が恥ずかしいし、まあいろいろと恥ずかしいしで、朝からステキオーラ放っているビケさんからつつーと目を逸らすあたしの腕をどきりとする感触が

「ビッビケさんっ?」

「さすっていれば消えるわよ」

そんなわけあるかー!とビケさんじゃなけりゃつっこんでいるとこだけど
ビケさんがいうならきっと本当なのだ。いやマジで痣なんて消えて美白るの間違いないです!
はぁはぁ、いやそんなことよりも、ビケさんにさすられているあたしの腕が羨ましいっっ!

「そんなことより、あなたに渡したい物があって来たんだわ」

そう言ってビケさんがあたしに手渡してくれたのは、掌に納まるサイズの通信機器。

「それならいつでも連絡がとれるでしょう」

「ビ・・・ビケさん」
ああっ、嬉しい!これで離れていても繋がっていられるんですね!あたしたち!
あたし達って・・・きゃーあ!!
思わず手の中のそれにほお擦りしたくなる。

「それから、それを持っていれば、Cエリア内のショップをタダで使うことができるし。地下鉄も乗り放題になるわよ」

ええっ、なんですと!いきなりすごいアイテムをゲットしちゃいました、パンパカパーン☆

「ありがとうございます!大切にします!

でも、ほんとにビケさんにはいろいろお世話になりっぱなしで、こんなものまでもらっちゃて」

ただでさえ、行くあてのないあたしを無償でおいてくれるだけでも十分してもらっているのに
すごく嬉しい反面、申し訳ない気持ちもあるわけで

「そこは気にするとこじゃないのよ」

ビケさん・・・じーん。ビケさんの優しさに包まれて、あたしは本当に幸せな女です。
あたしに生まれてきてよかった。

「そういえば、ショウちゃんからお呼びがかかっていたわよ」

「へ?ショウが?」
なんでショウが?

!もしかして、テンになにかあったとか・・・

「どうかしたの?」

ビケさんはテンのことやっぱり知らないんだろうか?
ショウのやつ話してないのかな・・・

やっぱりテンのこと話しづらい。

「気にせず行ってきなさいな。私はどうせ夜まで戻ってはこれないから」

そう言って、部屋を出て行ったビケさんの背中を見送りながら、手の中の通信機器をぼーと眺めながら、あたしは今日一日の過ごし方を決めていた。



あたしはBエリアの港通りに来ていた。
真夏の暑さで、ただでさえ暑苦しいこのBエリアの中で、ここは唯一爽やかな風が流れていた。
すぐ海があるからなのかもしれない。
通りを歩いていると潮の香が漂ってくる。

そして進む先に見えたのは、白く長いしっぽを風に揺らしながら歩くあの白い子猫。
その子猫を追いかけるように歩いていく数人の女の子たちがいた。
向かう先は、おそらくあそこ・・・カフエテン・・・。
ゆっくりと向かいながら目で追っていたあたしの視界を遮るようににゅっと現れた後頭部は、茶色の短髪に、夏の日差しにむかつくほど反射しているゴーグルを頭につけている、その後頭部は。

「ハバネロー・・・エンジェルって実在したんだー・・・」
なんかぼやいてますが、大丈夫か?こいつ・・・

「ショウ?」

あたしが声をかけると「うわぁっ」とわざとらしく驚きながら振り返る。

「エンジェルのあとにブッ」

今なに言いかけた?こいつは。まあどうでもいい。

「ビケさんから聞いたけど、なにかあったの?・・・もしかしてテンにあれからなにかあった?」

あたしはてっきりテンに関することで呼び出されたのだと思い込んで訊ねたら、ショウのやつはケラケラと笑いながら答えた。

「今Aエリアは夏休みじゃん」

ああ、そういえば、そんな季節なのね。Aエリアの感覚を忘れつつあるこの頃。ショウのその言葉でそうだったなと今更ながら気づく。

「カイミのやつも今休みだし、実家のあるこっちに戻ってくるって聞いてー」

「なっっ、カイミ?!」

あの台風娘、破壊暴行女子高生?!
ここにいるの?蘇る恐怖!
焦ったようにキョロキョロするあたしを見て、ショウのやつはむかつく笑みを浮かべながら

「それでリンネと対面したらおもしろいことになるだろーなー、と思ってたんだけど・・・
なんか用事かなんかしらないけど、Aエリアに残ったままらしくて、残念ー」

ふー。とため息ながらにそういうショウ。

「ちょっ、もしかしてそれが呼び出した理由?」

・・・おのれこいつは、こいつの考えていることは、もう今更ながらろくでもないんだと実感した。

「オッサンのほうはまた大変なことになっているけどね」

「えっ」

テンがまた大変なことになっているっていったい

「ショウ、どういうこと・・・」

「行けばわかるっしょ」

フフン。と楽しそうな笑みを浮かべるショウとともにカフェテンへとあたしは向かった。

「いらっしゃいませですー」

戸を開けると、あのウエートレスの明るい声で迎えられた。
そして、先ほど目にした女の子たちやら、他にも客がいっぱいいて、けっこうにぎわっていた。

「きゅる」

「きゃー、ハバネロちゃんかわいー、こっちおいでー」

あの白い子猫に客から声がかけられている。どうやらこの店のマスコット的存在のよう・・・
しばしぽかーんとしているあたしに気がついたあのウエートレスが駆け寄ってくる。

「あっ、あなたは先日の・・・また来てくれたですね。ささっこちらの席にどうぞです」
彼女に連れられ、席へと向かう途中、カウンターの中のテンへと視線をやった。
テンはこちらと目を合わせることなく、黙々と作業をしている。

店内はほぼ満席状態、これもあの白猫ハバネロの客寄せ効果らしい。
そんな状況の中、接客しているのはあのウエートレス一人のみ。
それでも店内は狭いほうなので、彼女一人でもなんとかなっているみたい。

ランチタイムが終わって、ピークを過ぎたらしく、客席もぽちぽちと空いてまったりとしてきた。
ショウのやつはけっこうここに入り浸っているらしい。テンをからかうのが目的なのか・・・

「もしかして、あのこ目当てで?」
ウエートレスの女の子。艶々した黒髪に、つり目がちな大きなパッチリ目に、出るとこ出てて、ひきしまるべき場所はきゅっと引き締まっている、かなりの美少女だ。
案外男性客はこのこ目当てでここに通っているんじゃないかと思えるほど、魅力的な女の子。
歳は・・・女子高生くらいに見える。

エメラのほうへと一度視線をやったあとショウは、ハッと乾いたため息ながら答える。

「冗談。あんなガキんちょには興味ないよ」

歳相応にはとても見えないショウにだけはガキなんて言われたくないと思いますが・・・
違うのか、じゃあ・・・

「ハバネローーv」

そっちかよ。そんなにかわいいかな、あの猫。まあ客の前ではかわいこぶった甘えたしぐさを見せていたけど、・・・あたしには噛み付かれたあの痛い記憶が新しい。

「ふう、ひと段落したです」
ウエートレスの女の子はあたしたちのほうへとやってきて声をかけてきた。

「こんにちはです」

「あ、どうも」
軽く会釈をする。テンのほうはこちらの様子を気にすることもなく作業をしている。

「エメラ、あなたとお話してみたいと思ってたです」
あたしの向かいの席へと腰掛けたエメラと名乗る少女はあたしの目を見ながらそう話しかけてきた。

「はあ、あの・・・あなたはいったい?」

「あっ、はい、エメラはAエリアの学生です。今学校が夏休みなんです。

それで夏休みの間、このBエリアに来て、ここで住み込みで働かせてもらってるです」

「Aエリアの学生?がなんでBエリアに・・・こっちに実家があるとか?」
それには首を振るエメラ。家族がいるわけじゃないのに、一人でこのBエリアに来たらしい。
いったいどこの物好きですか?
Aエリアの学生の夏休みといえば、Aエリア内で過ごすか、Cエリアに観光に行くか、家族がBエリアにいる人ならBエリアに行くって人もいるはずだけど、そうでもないのに、Aエリアの人間が好き好んでこんな危険な街になぜ来るのか?
あたしは疑問だった。

「エメラはどうしても叶えたいことがあって、Bエリアに来たかったです。

それよりも、店長とはどういったお知り合いですか?」

キラキラと輝く瞳に、あたしは返答に少し迷ってしまう。

「どうって、まあいろいろと迷惑かけられた・・・存在?」

「やっぱりあなたは店長のこと知っていたですね」

「でも、あいつは・・・記憶を失くしているみたいだし」

「そう、みたいです。エメラも店長と出会ったのはここ最近でよく事情は知らないですけど。

店長もあんまり自分のこと話してはくれないですけど、でも、海の中にいた記憶があると話していたです」

「海の中・・・」

たしかに、海に落ちたし、その記憶は間違ってないと思うけど・・・・・・

あるのはそれだけなのかな?
テンはおばあちゃんのこともあたしのことも憶えていない。

ならおそらくZ島のことも、ビケさんのことも・・・

でも海の中にいたことは憶えているのか・・・

「エメラ、もしかしてと思ってるです。店長は、人魚じゃないですか?」

ウキウキキラキラな瞳でそう語るエメラに、その言動に思わず「は?」と聞き返してしまった。


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