金酉が滅び、黒狼が滅び、天下をめぐって争いを繰り広げた四大勢力は事実上紺龍と赤鳥だけとなった。
武者王から解放された金酉の者達は温羅のもとへと集った。
黒狼に所属していたいくつかの者たちも温羅の下にやってきた。その中にはサカミマもいた。
争いが終わった後も、温羅は大自然の起こす災害を予知し、人々を救った。
温羅によって救われた者たちはみな温羅を神の化身だと敬った。
その温羅の奇跡を紺龍の者達がさらに人々に伝え広める。
温羅教とも言える信者を日々増やしていく。それは鷲将の思惑通りでもあった。
鷲将の目的は、統一国家の象徴となる存在が必要だった。それに相応しく運良く現れたのが見た目にも実際にも神秘の力を秘めた男温羅だった。
温羅が異国の者で、彼の素性を知るものがこの地にいないことも理想どおりだった。なぜなら、彼が人ではなく神そのものだと大げさに言ったとしても、それを完全否定できるものもいないであろうからだ。
そして、自分が温羅を影で支える。表には立たず、裏からすべてを手にする。これが鷲将にとっての天下だ。
精霊女の存在については、彼女達は今は温羅の信者と成り下がったといってもおかしくはない。今のところ放置していてもたいして問題はなかった。
統一国家を立ち上げるべく、鷲将たちは動き始めた。
まずは都となる地を探し、決めねばならないと、移動を開始する。
場所は紺龍の本拠地より南東の地。戦場になることのなかったただっぴろい平野を抜け、その平野の中央にある丘に精霊女は目をつけた。あの地こそ、都となるべき神秘の力を放つ場所である、と彼女は言った。
その瞬間温羅にもビジョンが見えた。丘の上に立つ、山より高くそびえる居城。それを囲むようにして栄える都の姿が。
温羅はその地を都とすることを決めた。そして当日から、都のシンボルとなる温羅の居城の建設が始まった。
城の建設には紺龍の者はじめ、赤鳥に元金酉のものに黒狼を抜けて温羅たちについたものたち、そして温羅を救世主と信じ彼が王となることを望むこの地の民があたった。
多くの力ある男達の気合に伴って、城は数日のうちにほぼ形が出来上がっていた。
それはこの地では他に見たことがないほど、巨大な、今にも天に届きそうなほどの巨大な城になっていた。
「これが、私の城か」
感嘆の声をこぼし、温羅はその姿を見上げたままごくりとツバを飲み込んだ。
「ええ、温羅様、あなたはこの地の王になるのです。誰よりも高く尊い存在でなければならぬのです。
もっとも天に近い場所に座して、民をこの地のすべてを治めるのです。
伝説の鬼神の化身であると、民は信じております。彼らの幻想を真実にしなければなりませぬ」
細い目を細めながら、笑みをたたえた鷲将は温羅にそう告げる。
「伝説の鬼神…この地を治めたという鬼神か…ならば、私は鬼王となるか」
温羅は顎をくいと天へと向けた。空高くそびえるその城へと足を向けた。
まだ外装も終わってないが、内部のほうはしっかりとできあがっていた。まだところどころ骨組みがむき出し状態ではあるが、もう完成だと言ってもおかしくない出来のよさだった。
木の階段を温羅は駆けるように登っていく。最上部へとたどり着き、屋根へと足をかける。
身を乗り出した温羅の髪を風が浮かせた。その光景に温羅は目を見開いた。しばらく、見とれてしまう。
今にも雲がつかめそうな錯覚が起こるほど、ここまで高い場所に来た事があっただろうか?温羅は思い起こす。自分がかつていた国にも、なかったかもしれない。
地面が地面に見えない。人も点でしか判断できない、本当にあれが人なのか疑わしいほどだ。
そして北西に見える天高くそびえる双子山鬼の角がそこから見えた。平地では見ることが出来ない鬼の角もよく見える。なんて、素晴らしい視界なんだ、温羅は心から感動していた。
これが鬼王の視界だ。
その一週間後、無事温羅の城は完成する。温羅の住む城を都の中心とし、その城を鬼城と呼び、その城の立つ地を鬼が島と呼んだ。同時に新しい時代の幕開けだった。温羅がこの地の王となり、自らを鬼王と名乗った。
鬼歴元年、鬼王温羅の誕生であった。

新都建設に慌しい日々を送る中、友人として側にいたゼンビとサカミマが温羅にとっての安らぎだった。
ゼンビはスキあれば温羅のそばにとまとわりつくようにしていたが、鷲将がいれば彼に追い払われる。ゼンビは鷲将が好きではなかった。その不満をサカミマにもらしていた。その日鬼城の一室にて、サカミマとゼンビは談義していた。鷲将への愚痴を苦笑いを浮かべてサカミマは聞いていた、サカミマもあまり鷲将は好きではなかったが、感情を表面には出さないサカミマのほうが上手く取り繕っていた。
「二人ともここにいたのか」
「あっ、温羅!」
二人の後ろから現れた温羅を目にした瞬間嬉しそうな声をあげてゼンビは飛び跳ねるようにして温羅の側へと駆け寄った。懐っこい子犬のようにすりよるように衣の上から腕を掴んで喜びを表す。そんなゼンビをかわいい弟のように優しい眼差しで温羅はゼンビの頭をなでる。
そんな二人を見ていたサカミマはゼンビの無邪気っぷりに少し呆れながらも、ふっと砕けた笑みを浮かべる。
「最近ほとんど温羅と一緒になれないからさー」
ぶー、と不満をもらすゼンビに「すまないな」と温羅は苦笑する。
「仕方がありませんよ。温羅は鬼王なんですから。あなたと違って日々忙しいんですよ」
「オイラだってちゃんと働いてるよ」
「そうだな。争いが終わったとて都を起こすとなると休む間も無いからな。
二人が来てくれてほんとに感謝している。こうして私と友として接してくれるのはそなたたちだけだからな」
「そんなオイラだって、温羅がいなかったら死んでいたかもしれないし」
「ええ私も。受け入れてもらってほんとうに感謝しています」
二人の顔を見て温羅は嬉しそうにこくりと頷いた。
「二人は同じ地の出身と聞いたが」
「ええそうです。私とゼンビはこの地の者ではなく、海を渡った小さな島の出身なんです。金酉の兵が来た事がきっかけになって島を離れたわけなんですが」
「桃太郎……そしてビキもそうか」
サカミマは温羅の仲間となってから温羅がビキと知り合いだったことを知り、同時に温羅のビキへの想いも知った。同じくビキを想うサカミマは温羅を他人とは思えず同情した。
「サカミマはビキと親しい間柄だと言っていたな」
「ええ、ビキとは幼馴染で兄妹のような関係でした。なんとか彼女を説得して一緒にこさせたかったのですが」
「桃太郎か……」
温羅のつぶやきに頷くでもなくサカミマは目を空へと泳がせた。


桃太郎とビキ、太蔵たちは黒狼の本拠地に身を置いていた。はなれていった多くの仲間たち、おかげで館内は恐ろしいほど静かでただっぴろかった。
日が昇って少し立つ頃、食堂へと静々と現れたビキに食事をとっている最中の太蔵が挨拶する。
「よぉっビキ、具合はどうだ? あいつ乱暴じゃなかったか?」
漬物をぽりぽりとかじりながらビキの様子をうかがう太蔵、ビキは「いいえ、大丈夫です」と返事してきょろきょろと見回す。
「桃様は?」
「ああ、外じゃないのか? あいつにとっちゃまだ終わってないんだろうな。
ま、むりもないが」
とたとたと慌しくビキは食堂を後にした。
昨夜ビキは桃太郎と結ばれた。
それは男が女を愛するというよりも、性衝動のままに行った行為といったほうが正しいほど乱暴なものだったかもしれない。その証拠のように、ビキの肌には痛々しく痣がいくつか点在した。
だがビキの表情には幸せそうな柔らかな笑みがあった。痛々しい痣でさえ、大切なしるしであるように思う。
桃太郎はいまだに一度もビキを好きだとは言ってくれない。言うとするなら「あいつ(温羅)のことは二度と考えるな」と温羅を意識する内容ばかりだ。
桃太郎が強く意識するのはだれよりも温羅なのかもしれない。ビキを抱いたのも、ビキを好いてではなく温羅に渡したくないから、なのかもしれない。
それでもビキは嬉しいと思った。愛されるより愛するほうが彼女にとっては幸せな愛の形だったから。
外に出ると、木々の間をかけるように、一心不乱に刀を振り回す桃太郎の姿があった。
「桃さま…」
ビキはそれ以上近付けず、遠目からその姿を見守った。ビキの視力では桃太郎の動きはまともに見えないが、おそらく目のいいものでさえ、桃太郎の動きを目で捉えるのは至難の業だろう。
桃太郎の目にはひとつしか映らない。そこにいたのは育ての親老女の幻影ではなく温羅だった。
「温羅っ温羅っ温羅ぁーーーーーっ!!!」
いくら何度なぎ払おうが消えはしない、立ちはだかるその幻影に桃太郎の心は熱く激しく燃え上がる。
この小さな体を燃やし尽くしたところでおさまりはしないだろう、その炎は。
この手で消し去るまで。



桃太郎の願い、それはたったひとつ強く願うそれは温羅を倒す事、この手で、己の手によって沈めること。
そのためなら、命尽きようが、全身が黒い塊に成り果てようがかまわなかった。
温羅を倒し、頂上に立つ。それが桃太郎にとっての人生のすべて。
あの再会から半年後、温羅討伐のため都へと赴く桃太郎がいた。
打倒温羅のみを心に、一心不乱に剣を振るった日々、まだ幼さを残す顔は浅黒く焼け、余分な脂肪なく必要最低限の引き締まった筋肉、さらに刺さるような獣の眼差しは以前よりも鋭さを増していた。
その桃太郎の供をするのは太蔵とその仲間たち、そしてその旅先で懐かしい顔に会うのだった。
「お前チュウビじゃないか! てっきり温羅のとこにいったと思っていたが」
以前と変わらぬ図々しいくらいの人懐っこい態度でチュウビは桃太郎と太蔵の間に割ってはいる。
「こっちのほうがおもしろそうじゃからのぅ。ワシも一緒に暴れさせてもらうぞ、桃太郎」
ニカッと白い歯で笑顔を向けるチュウビに、桃太郎は「好きにしやがれ」と毒づいた返事を返す。
「相変わらずじゃ」とチュウビは愉快そうに笑った。その桃太郎の後ろにいた不安そうな面持ちのビキに気づくと、チュウビは「ワシが仲間になったからには百人力じゃ、安心せいよビキ」と彼女に懐っこく声をかけた。
「よかった、チュウビさんが戻ってきてくれて……。ゼンビさんもサカミマさんも桃様から離れて、みんないなくなって、でもまだ終わったわけじゃないんですよね。
神様はまだ桃様のこと見捨ててはいないんですよね」
「神なんていねぇ、そんなもん信じるんじゃねぇよ。てめぇは俺様のことだけ信じていりゃいいんだ」
ビキのほうへは向かず進む道の先を見据えたまま桃太郎が言う。
その言葉にハッとしたようにして、「はい」とビキは頷いた。
「じゃあビキ、お前さんはここまでだ。気をつけて帰れよ」
スッと手を挙げて、太蔵がビキに合図する。その言葉に「あっ」とどきっと波打つ胸を押さえてビキは足を止めた。見送りはここまでという約束。自分は一緒に戦いに行く事はできない、桃太郎の勝利を、生還を信じてただ祈り待つこと。それははがゆい、だけども、ビキにとっての戦いでもある。待つことという孤独と不安との戦い、それがたった今始まる。
背中を向けたままの桃太郎をビキはじっと見た。揺れるぼやける視界の中で、だけどもはっきりと心のレンズに彼の背中は映っていた。
錯覚なのか、頭がグラグラしているからなのか、その姿がぼぅーと遠ざかっていくような感覚がした。
今生の別れ、一瞬そんなことが浮かんで、否定せねばとブンブンと首を横に振った。
「桃様、絶対に……勝ってください」
「ああ当然だ」
ぶっきらぼうに答えて桃太郎は「いくぞ」と仲間を従えて都へと進んでいった。
死なないでとは言えなかった。それは自分の願いで桃太郎の願いとは異なるから。だから言えなかった。
小さくなっていく影を見つめながら、ビキはわずかに膨らんだ腹部に手を当てた。


都にはいろいろな地方から人が集まりだしていた。災害によって住む地を失った者たちを優先的に住む場所を分け与える。金酉の者達や温羅の下戦った赤鳥や紺龍のものたちも当然として、温羅を崇拝する民達も温羅の膝元にありたいと移住してきた。住居が建ち、商人や職人が集い、ますます都として活気づいてきた。
特に温羅は刀職人に目をつけた。より自分になじむ愛刀をこしらえた。それは戦う為のものとしてよりも、鬼王の象徴として腰に携えた。少し長いそれは長身の温羅にはよく似合った。
多くの人間の集うこの新たな都に、桃太郎たちも上手く紛れ込んでいた。
昼前だというのに自分を容易に飲み込むほどの影を桃太郎たちは見上げる。
天高くそびえ立つそれが鬼城。絶大な存在をそこで主張するかのようにそびえ立つ巨城。
見上げてしかめっ面で桃太郎は歯噛みした。
「はー、立派なもんおったてやがったな。さて、日が落ちるまでどこで休める?」
「はっ、なにほざいていやがる。日が落ちねーうちに攻めるんだよ」
桃太郎?と桃太郎の表情を丸い目で見る太蔵。日中に堂々と攻め込むつもりなのか?このきちがいが!と心の中でつぶやいて「はは、らしい」と歯を見せた。
「温羅のやつが陽なら俺様は陰だ。だからこそあいつの領域である日中にあいつをぶったおさなくてどうするよ?」
腰に手を当てて太蔵は明るく笑い声を上げた。
「めちゃくちゃな奴だ。だからこそ俺はお前に惹かれたんだろうな。ここまで来たんだ、やれるだけやろう、悔いなくな」
太蔵の仲間の男達、チュウビも顔を見合わせ、明るく頷いた。日中に響く男達の笑い声、それはどこか陽気でどこか……、ちらちらと道歩く者が彼らを見たが、たいして関心持つことなく見過ごした。
シャン、心地良いほどの音を立てて桃太郎は刃を抜いた。

城門に立つ兵士二人を突然突進してきた少年が切り倒した。
「温羅はこの上か、待ってやがれ、今すぐ殺しに行くからな!」
桃太郎は素早く走りぬけ城内へと突入した。
続いて太蔵たちも城内へと進入する。異常を察知しすぐに兵士達が駆けつけた。
「む、貴様は桃太郎!」
桃太郎を見て鋭く目をつりあがらせる兵士達。武器を構え桃太郎へと向かってくる。
「っつ!」
俊敏すぎる桃太郎の動きに兵士達はついてこれない、すべてやすやすとかわされ反撃を受け、倒れる。
タン!軽やかな着地音をさせたかとおもうと、すぐにかかとを浮かせ、上部へと続く階段を駆け上がる。
「おーい、待たんかー、桃太郎ー、ワシの出番もとっとけー」
出番なしのチュウビが不満を伝えつつそのあとを追う。
太蔵は仲間に退路の確保を命じて上を見上げ、二人の後を追う。
すぐに城内に異常が伝わった。
城内に不審な侵入者あり、上部にいたサカミマとゼンビはすぐにそれが桃太郎であると確信した。
温羅に逆らう不届き者は、今いるとすればただ一人、桃太郎しかいない。
そんなバカを考える者は桃太郎くらいだ。桃太郎め。
「行きましょうゼンビ。桃太郎を」
「うん」
目で頷いて、ゼンビとサカミマは軽い防具を身に纏い、各々の武器を手に階段を駆け下りた。

この巨城にどれだけの人間が今いるのであろうか。武装している兵士でさえ溢れるように現れる。
「おおおっ、こっち側のはワシがもらうぞー」
ハッハッハッ出番じゃーと声を張り上げながら、チュウビは逞しい体を揺らしながら、突進してくる兵士達を肉体ではたく。
「おいおい、いくらなんでも人数が」
あまりの敵の多さに太蔵も苦笑いが止まらない。だがチュウビは楽しそうに笑みを浮かべたまま敵をなぎ払っていく。
「お前が味方でほんとーによかったよ」
「はっはっはっ、とーぜんじゃろうが」
「はっ、よしっ上行くぞ、桃太郎と引き離されちまうぞ」
「おおっしゃー、遅れるわけにはいかんな、温羅との決着は見届けねば」
フンと余裕で鼻息を吹いて、チュウビも太蔵に続いて階段を登る。
桃太郎は止まることなく前方に立ちふさがる兵士達を次々と斬り、足蹴にして飛び越えていく。
上の階から飛び道具で撃ってくる兵士もいた。が、桃太郎にはかすりもしない。
太蔵たちが追いついた頃、目の前の兵士達は皆地に伏せていた。意識はないらしい。
「桃太郎!」
聞きなれた声に桃太郎たちは耳を向けた。
階段の踊り場で、桃太郎たちより少し高い場所から彼らを見下ろすかつての仲間。
「これ以上進ませるわけにはいきません」
「温羅のとこにはいかせるか!」
「サカミマ! ゼンビ!
と、これまた険悪な面持ちで」
まあ無理もないかと太蔵は後頭部をかいた。
「俺様の前に立ちはだかることがどういうことかわかってやってんだよなぁ?」
片目を細め悪ぶった表情の桃太郎が進路を塞ぐかつての仲間を睨みつける。
すぅ、と息をすって一呼吸おいて「ええ」とサカミマは答えた。その目はそらすことなく桃太郎を見ていた。
瞳の奥に静かに燃える正義を勇気に、しっかりとサカミマは立つ。
揺らがぬ想いに桃太郎はカチンと歯を噛みあわせる音をさせて、ダンと床を蹴ってサカミマへと飛び込んだ。
「俺様はお前の事見くびっていたぜ、サカミマー!」
「そうですか、じゃあ、今は少しでも脅威と感じているのですか?」
飛び込んできた桃太郎の初撃を武器の柄でサカミマは防ぐ。だがかつての桃太郎を上回るパワーにすぐにそれは意味を成さないものに変わる。
心臓がどくんとはねる音をたしかに聞いた。あ・・・これは・・・
サカミマが見たのは昔の懐かしく優しい記憶の中の景色。柔らかな笑みを自分に向けてくれるビキの姿。
あの島の風、匂い、あるはずのないそれを感じた。
今目の前に見えているのは桃太郎の刃なのに、気持ちいいそれをなぜ感じるのか。
「サカミマー!」
叫ぶゼンビの前に立っていたサカミマはまるで宙を舞うように、階段を転がり落ちた。
「サカミマ!」
目の前に転がり落ちてきたサカミマを太蔵が抱き上げた。顔を起こし上げると、そのまぶたは閉じていた。かすかに開いた口元は笑っているような、悔しさがにじむような、不思議な顔のまま彼は眠りについた。
「よくもサカミマを殺しやがったな、このやろー」
眉を吊り上げ、ゼンビがサカミマよりも高い位置から桃太郎へと飛び掛る。
ゼンビの短刀を桃太郎はハエをはねのけるように刀で払いのけ武器を奪い無効化する。
「くっ」
反撃から逃れる為、素早く身を屈めて後方へと飛ぼうとしたゼンビの足を桃太郎が掴んで、そのまま勢い任せで階段の角にゼンビの体を打ちつける。
「かはっっ」
白目をむいて唾液を天に吐き散らすゼンビの胸部に止めをささんばかりに桃太郎が膝を打ち込む。
「(殺される、死ぬっ)」
瞬間そう感じたゼンビ、だが桃太郎の膝は外れた。いや桃太郎がわざと外したのだ。
「桃太郎?」
太蔵たちが桃太郎の奇行を下から見守る。ゼンビを馬乗りになって見下ろす桃太郎の顔には笑みがあった。
「どうしたんじゃ、桃太郎、なにやっとんじゃ」
サカミマにはためらいなく斬り殺しにかかった桃太郎だが、ゼンビにはとどめをささない?
「なんで…オイラを殺さない?バカにしてんのか?」
苦しそうに胸を上下させながら、半分閉じた目のままゼンビの声。
そんなゼンビを見下ろしながら「はっ」と生意気な息を吐きながら桃太郎が答える。
「お前、俺様と温羅がやりあうところ見たいんだろ?」
「!? な…なにを」
カチンとわざとらしく歯をかみ合わせる音を響かせて、桃太郎はゼンビの前髪ごと掴むようにしてゼンビの額を乱暴に掴みあげる。
「特別に見せてやる。ここで俺様に殺されたら、見られねぇぞ、死んでも死にきれねぇだろうが?」
「……はぁ…はぁ…」
息をきらしながら、ゼンビは桃太郎の目の中の自分の瞳を見ていた。そこに映る温羅の勝利を信じる自分を……。
「桃太郎、お前そりゃー、つまり」
指差して目をくるくるさせるチュウビに特になにも答えない桃太郎は再び「はっ」と息を吐き捨てて掴んだゼンビの頭を乱暴に下に落とした。ゴン!と痛そうな鈍い音がみなの耳にも聞こえた。
「俺様はお前が気に入らねぇからな。だからてめぇーのお気に入りの温羅の野郎をぶっっ倒して見せてやる」
口端を吊り上げて、嫌味ったらしく笑う桃太郎に、ぎりっと反抗心むき出しにされるゼンビはその後を追う。
「わかりやすい奴だな桃太郎、お前は」
桃太郎はゼンビを少なくとも気に入っている、太蔵にはわかった。きっとそんな想いは永遠にゼンビには伝わらないだろうが。
ふ、と軽い息をもらすと抱きかかえていたかつての仲間をそっと床に寝かせた。
「生まれ故郷に、連れ帰ってやれるといいんだがな。
どうか安らかに眠ってくれよサカミマ」
軽く目を伏せて、太蔵は上階に登っていった桃太郎たちの後を追った。


「そうか、桃太郎がここに」
最上階にいた温羅の耳にも侵入者桃太郎の情報は届いていた。が温羅は動揺などかけらもなく落ち着いた様子で己がいるべきそこにいた。
「おおお、なんということじゃ、悪しき気が王の間へと迫っておる」
精霊女が従者たちに守りをすぐに固めよとの指示を出すが、温羅はその命をとく。
「かまわん、ここまで通すがいい。桃太郎は、この私が…鬼王温羅がこの手で成敗してくれる」
赤い瞳に激しい炎をともして、温羅が立ち上がる。
温羅の言葉にすぐに態度を一変し、まるで神を見るような態度で精霊女は声を上げる。
「おおお、そうじゃ、われらが温羅様が桃太郎などに負けるはずがないわ。バカめ桃太郎が、地獄に落ちるのはお前のほうじゃ」
中年女性独特の笑い声を上げ、まるで奇声にも近いそれを発しながら精霊女は温羅の後方へと身を下げた。
温羅のいる最上部へは邪魔をする兵士もなくすぐにたどり着けた。
重々しい飾り付けられた王の間の扉を桃太郎が乱暴に開いた。
それを待っていた温羅は表情崩さず、堂々と桃太郎の前に立っていた。風など吹いてもいない屋内でありながらも、温羅の赤く長い髪は揺れていた。なにか目に映らぬ気のようなものにあてられてだろうか。
体温が呼吸が上がってゆく、音を立てながら激しさを増していく。
見開く桃太郎の茶色い瞳、それを飲み込もうと静かに細まっていく朱色の瞳。
「ははっ、温羅ーーーー!」
叫ぶような桃太郎の声にのせて鉄の刃は唄う。
桃太郎と温羅、二つの相容れない魂が今ここで激しくぶつかり合う。


BACK TOP NEXT