「はぁはぁ、あいつらしつこすぎ」
急な斜面を滑るようにして駆け下りていく少年の姿があった。
茂る草木に身を隠すようにして走りながら警戒を常にして。
荒くなる息を整える余裕も、汗を乾かす時間さえない。
立ち止まれば、命の危機であるから、立ち止まることなくゼンビは走った。
「見えたぞ! あそこだ」
「!」
後方から自分を追いかける者たちの声がした。驚いたゼンビは障害物に足を捕らわれ転がるようにして斜面を落ちていった。
「うぐぅっ」
腹部に激しい痛みが走った。斜面途中の突き出した岩に激しく腹を打ち付けた。
横たわり呻くゼンビの元に、追跡者たちは追いついた。
追跡者の手にある刀は、ゼンビを仕留める為にあるもの。それをゼンビもわかっている。
わかっているからこそ、逃げてきたのだ。
先日桃太郎に敗北したゼンビは体調が万全ではなく、追跡者とまともにやりあえる状態ではなかった。
だから逃げるしかなかった。
殺されるから、あんなとこで、あんな奴に殺されるのは絶対イヤだったから、ゼンビは逃げた。
夜を越え、朝を越え、休む間もなくただひたすらに逃亡した。
逃げてきたが、しかしもう……。
自分を見下ろす追跡者に、睨みつける力もなく口を開けたまま荒い息のゼンビは
死を覚悟した。


「どういうことですか?!」
黒狼のアジトにて、サカミマは現リーダーの桃太郎に詰め寄った。
「どうもこうもねぇ。裏切り者は始末するだけだ」
サカミマに桃太郎は非情に言い放った。
桃太郎が言う裏切り者とはゼンビのことだ。
桃太郎へと牙を剥いたゼンビは体の自由を奪われ反省室へと閉じ込められた。
がその夜、どんな手段を用いたのかは知らないがそこから脱走して姿をくらましたのだ。
その事実を知った桃太郎はすぐにゼンビを始末せよと刺客を放った。
一度入ればどんな理由であれ脱する事は許さない、それが黒狼の掟だった。
その掟がなくとも、桃太郎ははなからそうするつもりだったろう。
ただ桃太郎は怒りにまかせてというわけではなかった。命を放った後、口元には笑みがあった。
もしゼンビが襲い来る刺客をすべて返り討ちにして、再び自分の前に姿を現すのなら……その時は……。
そんな妄想を巡らせ悦ぶ。
桃太郎のゼンビ始末の指令に納得していなかったのはサカミマだった。
仲間であった、同じ郷里の者であるゼンビを一度の過ちで命を奪えというのはあんまりだと思った。
頑として抗議した。
だがそんなサカミマを桃太郎は鼻であしらうだけだった。
不満を漏らすのは自分だけ……サカミマの中でこの組織に対して、そして桃太郎に対しての不満は静かに募っていく。


温羅は旅の途中にあった。
自分を訪ねてやってきたという紺龍の使いの者とともに歩を進めていた。
彼らの話を聞いたところ、この混沌の世を終結させるため、温羅の力をぜひとも借りたいのだという。
彼らの熱心さに打たれた温羅はとりあえず一度会ってみなければと思い、彼らとともに紺龍の主精霊女のもとへと旅立つことに決めたのだ。
今後の活動を仲間たちに託して、向かうのはここよりはるか東にある紺龍の本拠地。
この時代のまだろくに舗装されていない道をたどるならそこまで一週間はかかることになる。
また途中で山賊に襲われない可能性もけっして低くはないだろう。
見たところ紺龍の使いの者たちは最低限の手荷物しか持たず、武器らしい武器は持っていないように見えた。
無用心に思えたが、彼らは賊に襲われることはほとんどないのだという。
全身真白の統一された独特の衣装、ぐねぐねと曲げられた紋様のアクセサリーを首や腕に巻きつけ体からは香のような不思議な香を纏わせていた。得体の知れない不気味さをある種感じさせる。
それは紺龍の者である証。神秘の力を持つと言われる精霊女の加護を彼らは受けていると言われている。
彼らに手を出すとなにか恐ろしいことが起こるらしい、そんな噂があった。それを知る賊は紺龍には手を出すなと決めている者が少なくない。係わり合いになりたくないのだ。
そのことをわかっているからこそ、彼らは無防備にも見えるような軽装備で、恐れることなく旅をしている。
彼らがそうしていられるのはそれだけではなく、精霊女の力を信じているから怖いものなどないのだ。
目に見えぬ神秘的な巨大な力を信じる。神を信じ尊ぶ、信仰心は弱き者を強き者に変える力を持つのだろう。
彼らを突き動かす精霊女には温羅も興味があった。
彼女も、武者王や狼座のように天下の座を求める野心の塊なのだろうか?
まずは会って、この目で見定めて見ないことには始まらないか、と。
彼らの案内のもと、温羅は紺龍の精霊女のもとへと向かう、その道中だった。
八十メートルほど先、道を横切る人影を温羅は見た。
シャッと獣道を駆ける小動物のような素早さで、まばたきによっては見えなかったかもしれないスピードで。
だがその瞬間を温羅の目は捉えていた。そして、その駆け抜けていった人影が自分の見覚えのある者に似ていた。一瞬の事だったが、温羅はたしかにその者を知っていると感じた。
「今のは・・・」
「どうされましたか? 温羅様」
「すまない、少しここで」
温羅は紺龍の者達にしばしそこで待つように指示すると、駆け抜けた人影を追った。
一瞬心臓がどくんと強くはねたのだ。それは嫌な予感というのだろうか、とにかく温羅はその者を追いかけねばと心が走ったのだ。
「見えたぞ、あそこだ」
「!あの黒装束は」
黒っぽい衣装に独特のオーラを纏う、他の賊たちとは違うその空気を放つのは、最強の賊集団黒狼!
何度か刃を交えた事のある温羅は直感で、今目の前を横切った複数の影が黒狼の者であると判断した。
ザッ
土を滑るように蹴り、方向転換して走り去った影の後を追った。
道を外れ、滑るように斜面を駆け下りる、その先に先ほどの影達が見えた。
黒狼と見られる男達は、地面に横たわる一人に刃を向けていた。
横たわる者は抵抗する力なく、荒い息をするだけでよける気配もない。
「くっ、待て!」
滑るようにして駆け下りた温羅は男達に叫ぶように声をかけた。
男達は一瞬温羅へと振り向いたが、チッと舌打ちしながらすぐに向き直し、刃を横たわる少年へと振り下ろした。
「くぅっ、させぬ」
そのままのスピードで、温羅は刀を抜き、黒狼の暗殺者たちを一気に斬り伏せた。
刃は横たわる少年へと届く前に草の上にどさっと倒れ落ちた。
「?……」
なにか異常があったのかと、横たわったままの少年はうっすらと瞼を開いた。
「怪我はないか? !そなたはたしか」
自分の足元にある少年の顔を確認するように、温羅はしゃがみ込んで彼の顔を見た。
やはりこの者は温羅の見覚えのある者だった。
そして少年も温羅を見ると驚いたように目を開いて言葉を発する。
「アンタは、温羅!?」
「そなたはたしか……ゼンビ!?」
一度知り合ったことのある二人、お互いを覚えていたことに安堵した。
「元気でいたのか? 他の者たちはどうしている? 一緒ではないのか?」
温羅の親しげな問いかけに少し頬がゆるんだゼンビだったが、自分の置かれている立場を思い出し険しい顔へと戻る。
「オイラは裏切り者なんだ。だからもう、あいつらのもとには戻れない」
きゅっと唇を真一文字にしてゼンビが吐く。
「どういう、ことだ?」
眉を寄せる温羅をそのままの瞳で見上げるゼンビは同じように温羅へと問いかける。
「どうして、オイラを助けたの?」
ゆらゆらと泳ぐ瞳は力ない。弱々しい息を吐くゼンビを温羅はじっと見つめる。
「どうして?理由など必要ないだろう?仲間を助ける事に」
さも当たり前だと言わんばかりに温羅。
「仲間……」
小さくつぶやいてゼンビは目を閉じる。
「(仲間ってなんだよ?人なんてどうせ……欲望の塊)」
心の中で、ゼンビは呪いをかける。だれにでもなく。
ゼンビの中で忌まわしい過去の記憶が蠢いていた。どんなにどんなにあがいてもその記憶は消し去れない。
物心ついた時からゼンビは親から虐待を受けていた。肉体的に、性的に、精神的に、それは体にも心にも深く深く抉られた傷跡を残した。幼かった自分は抵抗さえできず耐えるだけだった。
十歳を迎える頃、その恐怖はやっと終わりをむかえた。虐待を与え続けたゼンビの男親は突然急死したのだ。
毒キノコだか毒草だかなにかは定かではなかったが、毒物によって死んだのではと噂されていた。
ゼンビはその後他の家のもと世話になる事になったのだが、大人たちの側では聞きたくもない嫌な話ばかりが飛び込んできた。自分に対する嫌な噂も、ゼンビの幻聴だったのかもしれないが耳に入ってきた。
チュウビと出会って、チュウビのバカで細かいことにこだわらない豪快な性格と気が合いつるむようになった。
そしていつかこのちっぽけな島を飛び出して、大きな世界に出て、そこでこの島では叶えられない夢を叶えたいと願うようになった。チュウビの口癖で、他の者からは戯言だとバカにされてきたそれを……
天下をとって、この世を変えてやるんだという馬鹿馬鹿しいほど大きな夢を、本気で夢見ていた。
その向かう道を、横から突然現れたあいつに邪魔をされた。
桃太郎。
ゼンビは桃太郎が嫌いだった。自分とよく似た境遇で、自分と年も近く少女のような体型で、それでいて自分よりもずっと……強いその少年が忌わしかった。
ライバル心と嫌悪感が入り混じったようなその感情のもと、ゼンビは桃太郎にこてんぱんにやられたことは死以上も同然の屈辱だった。
だれよりも負けたくない、そしてあいつに殺されるなんてそれこそまっぴらごめんだ。
その思いでがむしゃらに飛び出し逃亡した。
結局逃げ切れずに、情けなくも死を覚悟するにいたったわけだが。

でも死ななかった。なんの偶然か命を救われた。一度しか面識はなかったが、温羅という顔見知りの男に。
ほんの知り合いのレベルだ、それ以上でもそれ以下でもない。
それは当たり前だとわかっている、わかっていることなのに、ゼンビの心には冷たい隙間風が吹き抜けていった。

「好きにして……いいよ…」
目を閉じて力なく地面へとついた腕のままゼンビは告げた。
ゼンビの心は砕けていた、夢もまた砕けていた。つい先ほど死を覚悟した。
諦めた体で、ゼンビは力なくそう告げた。
「そう、か」
温羅の返答を目を閉じたまま聞く。しゅっと温羅の衣がかすれる音が響いた。温羅が動いているのはわかる、なにをしているのかはわからないが、ゼンビはいいと思った。このままなにをされてもどうされても、温羅ならばかまわないだろう。桃太郎の命を受けたものではない、桃太郎の手にかかるわけじゃない。
それは負けにはならない、言い聞かせるように。
温羅が自分の体に触れるのを感じた。
「(なんだよ…温羅も、同じなのかよ)」
心の中で軽蔑の言葉を吐き捨てた。
「(でもいいや、死んだのも同然なんだし、もうオイラは…)」
目を閉じて、力を抜いてされるがままにした。だが温羅の手つきはゼンビの想像通りには動きはしなかった。
性的な触れ方はなかった。ゼンビにとっては予想外だったため、ふと目を開けてしまった。
「アンタっなにをして?!」
バッと上半身を起こして、隣にしゃがみ込む温羅へと問いかけた。
「簡単ながら傷の手当てをした。まだ動けないほど痛むのか?」
ゼンビは首を横に振り、心配そうに覗き込む温羅を信じられないといった表情で見た。
「好きにしろって言ったじゃないか」
「だから好きにした」
ふっと笑みを浮かべて迷いなくそういう温羅にゼンビは言葉を失った。
心が静かに音を奏でだす。静かで優しくて温かいその音をとくんとくんとゼンビは感じていた。
自分を見つめる赤い瞳に情けなくも震える自分が映し出される。
「温羅様ーー」
上から温羅を呼ぶ声がした。紺龍の使いの者たちだ。
温羅は上に手を振って合図して答えた。
「すぐ戻る」
そう答えて体を起こす。
「私は向かわねば、ゼンビ、サカミマたちにもよろしく伝えてくれ。共に力を合わせ、争いの世を終わらせようと」
別れの挨拶の後ゼンビに背を向けた温羅をゼンビが呼び止める。
「よろしくなんて言えないよ、だってオイラは裏切り者なんだ…」
「裏切り? さきほどの言葉は冗談ではなく本当に」
こくりとゼンビは頷く、真剣な眼差しで自分を見る温羅に向かって
「オイラは黒狼にいた、黒狼はもっとも強い奴がリーダーになる決まりで、……今は狼座が死んで、その狼座を倒したあいつが…桃太郎がリーダーになったんだ」
「?! 黒狼にいたって? 今は桃太郎がリーダーだと?いったいどういう」
カッと目を見開き、ゼンビへと温羅が詰め寄る。
「オイラはそれを、あいつがリーダーなんて認めたくなくて、逆らったんだ、その結果がアレさ。
温羅がいなかったら、今頃死んでいた……」
ゼンビの話を聞いて、温羅は聞きたいことがたくさんあった、それを問い詰めようと口を開いた時、ゼンビが先に言葉を発した。
バッと長身の温羅を見上げるゼンビは真剣な眼差しで
「温羅!オイラを一緒に連れてって!温羅の力になりたいんだ」
温羅は強く頷いて、揺れる瞳で見上げる少年の手をとった。

ゼンビは温羅の旅に同行することになった。道中会話を重ねるごとにお互い親密度は上がっていった。
ゼンビは温羅には親しげに語りかけるが、連れの紺龍の使いの男達とは一言も言葉を交わさなかった。
最初に温羅に紹介されて軽く挨拶をしただけで、以降邪険な態度というか、存在そのもの無視といった態度だった。ただ紺龍の者達も興味は温羅だけでゼンビのことはこれっぽっちも興味がないらしかったので、お互いさまではあったが。
温羅の横を歩くゼンビは嬉々としていた。温羅もまた、親しげに接してくるゼンビを嬉しく思っていた。
旅の途中、温羅たちの関心をひいたのは天高くそびえる双頭の山だった。雲の上にのびる二つの頂上はまるで獣の角のようにも見える。
その高さもだが、美しくも雄雄しく立つ姿に惹きつけられる。
「あの山は?」
初めて見る天上近い双山に強く興味を持った温羅が連れの男達に尋ねる。
「あの山は鬼の角と呼ばれています」
「鬼の角?」
「ええ、はるか昔、この地のすべてを支配していたと言われる伝説の鬼神があの山になったと言い伝えられているんです」
なるほど。と頷いて温羅は鬼の角を興味深く眺めた。その温羅の横にひょいとゼンビがやってくる。
「ねえ、温羅。温羅がこの地を治めて天下をとったらさ、あの山の頂上に行ってみようよ。
この地でもっとも高いあの場所に行って、すべてを見るんだ」
すっと右手人差し指で鬼の角の頂上を指しながらゼンビは目を輝かせた。
ゼンビを見て、またふいと鬼の角へと視線を戻した温羅は
「そうだな、そうしよう」
「うん!約束な」
嬉しそうに温羅へと振り向いてゼンビはにかっと笑った。
「伝説の鬼神にか・・・。なってみせよう、この地を救う為に」
足を止めたままの二人を紺龍の者達が歩を進めるようにと促した。
気がつけば時は日が暮れ始めになっており、次の宿場へと急がねばならなかった。
歩を進めながら、また振り向いて天高くそびえる双山を見た温羅の目には、赤く染まりゆく鬼の角が印象深く焼き付けられた。


旅路の果て、難なく無事紺龍の本拠地のある精霊山へとたどり着いた。
周囲を山に囲まれた紺龍の本拠地は、今まで温羅が訪れた地とは違った独特の空気が流れていた。
本拠地へと続く道には脇に生え立つ木々に白い札のようなものが貼り付けられていた。それに何の意味があるのか知らないが、連れの紺龍のものたちの説明では、その白い札によって神秘の力を引き出しこの紺龍の地を守っているのだという。
ゼンビはうさんくさっと鼻から信じようとしなかったが、温羅は否定するでも疑うでもなく、今はとにかく紺龍の主であるという精霊女に会ってから、判断しようと思っていた。
神秘の力を持つと噂される精霊女。もしそんな力があるのだとすれば、この地を救う強力な協力者になりえる。
彼女が邪気のない存在だとは今はまだ判断しきれないが。
自分を「救世主」としてここに招いた精霊女。なぜ彼女は自分を救世主と呼ぶのか、そしてなぜ呼んだのか。
頼る為?利用する為?
なんにせよ、その疑問も時期に晴れるだろう、きっと、もうその存在まであとわずか。
温羅たちが進む中、道の脇に立つ紺龍の者達、みな白い衣類を身に纏い、独特の存在感を放っている。
神秘の力を信ずる彼らの瞳は他の民とはどこか違う、落ち着いていて、底知れぬなにかを奥に秘めているようで、彼らは強いのかそれとも……?
木造の巨大な建物の門へと到着した。周囲を高い木々が囲む中、その建物はその木々を圧倒するかのように、強い存在感を放ってそこにある。白い木の建物の表面は遠目からでは決め付けるのは難しいが、それでも傷一つないように見えるほど白く滑らかにあった。
「温羅様、どうぞこちらへ」
門が開き、新たに使いの者達が温羅のもとへとやってきて、温羅を屋内へと進めた。
不思議な空気の漂う質素な、だが美しく磨かれた廊下を温羅は進んだ。
その奥の間、白い布に赤や青の布が舞うようにかけられたそれをくぐりぬけた先に、紺龍の主は座していた。
「失礼します。精霊女さま、温羅様をお連れしました」
従者らしき男たちがその奥に後ろ向きに座する白い着物の女性らしき人に辞儀をして、温羅を彼女のいる間へと通す。
後ろ向きに座していた精霊女と呼ばれた長い黒髪の女性は温羅のほうへと振り向いた。
白い肌にさらに白い染料を目元に施し、独特の風貌の女性であった。年齢もパッと見では判断がつきにくかったが、よく見れば目元や口元にしわが浮いて見える。中年以上であろうか、しかし彼女の本当の年齢は公にしておらず、真実を知る者もいないとされていた。
「おお」
温羅の存在を確かめると精霊女は感嘆の声をもらした。そしてずさずさと長い衣を床にこすらせながら温羅のもとへと擦り寄るように近づいた。
「おおっ」
間近で温羅を見上げるようにする精霊女は再び、先ほどよりも強い感嘆の声をもらした。
「あ…」
「よくぞまいられた! 救世主殿!!」
温羅が言葉を発するより先に、精霊女の口から言葉が発せられた。
輝く黒い瞳に、力強い声に少し気圧された。
「長旅で疲れたであろう。どうぞ今夜はゆっくりとその身を休めてくだされよ」
目を細めて笑みを向ける精霊女、温羅は彼女に邪気を感じなかった。
彼女の考え、なぜ自分を招いたのか、詳しくは後ほど聞こうと身を休めるための部屋へと精霊女の従者に案内してもらった。
「あっ、温羅!」
温羅のもとへとさきほどは席を外していたゼンビが駆け寄ってきた。まあ正しくは席を外させられていたのだが。
少し緊張していた温羅も、ゼンビの顔を見ると緊張が解け、ゆったりとした笑みを見せた。
「今日はもう休むことにしよう、そなたも長旅の疲労がたまっているだろう」
「うん、温羅がそうするなら、オイラも」
温羅の隣へと座ろうとしたゼンビを従者が掴んで引き離す。彼の行動に不快な顔と痛みで頬を引きつらせてゼンビが抗議の声を上げた。
「ここは救世主さまの特別室だ。お前は別室で寝てもらう」
温羅と違ってゼンビにはキツイ口調と態度の従者、あくまで特別なのは温羅のみなのだ。
たしかにゼンビは呼ばれていないし、ムリ言って同行させてもらった身、いい対応を望むのは贅沢な事なのかもしれなかった。
引きずり出されそうなゼンビを救済したのはここの者達が救世主と呼ぶその人だった。
「かまわぬ。彼は私の大事な友人だ。ここで休ませてくれないか」
赤い瞳がじっと見据える。その眼光にたじろいで従者はゼンビを解放した。
しずしずと退室する従者を「ふん」としかめっ面で鼻息で追い払うようにしてゼンビはすぐに温羅の横にと座った。
「ありがとう温羅」
少し照れたように、笑みを浮かべてゼンビが隣の温羅へと礼を告げる。それに温羅は「いいや」と首を振った。
「礼など言うな。私のほうこそ感謝している。ゼンビがいてくれて、ほっとしているんだ」
「そんな、オイラは」
「友が側にいてくれるのはなにより心強いことだ。そなたもそう思うのだろう?」
温羅の問いかけに、一瞬ゼンビはサカミマやチュウビたちのことを思い出した。ゼンビにとって彼らは友という存在であったのか・・・?その答えはでなかった。そして思い出されるあの忌々しい少年の顔も、桃太郎、どうしても好きになれなかった、認められなかったあの少年のことを思い出して、ギリッと唇を噛んでゼンビは忘れたいようにブンブンと頭を左右に振った。
「ゼンビ、どうした? もしや、私に友と思われることがほんとは嫌、なのか?」
「違う! そうじゃない、そんなこと絶対ない!」
力強く否定するゼンビに、温羅もほっとして砕けた表情を見せる。
「それならよかった、ゼンビ、これからもよろしく頼む」
「温羅・・・うん」
(今日はもう休むか、ゼンビにもいろいろ聞きたいことがあるのだが、ゼンビも疲れているようだ、またにしよう)
温羅はゼンビにそろそろ床につこうと進めると、自分の衣類を緩め、肌を露わにした。
「あっ」
バッと驚いたように顔を背けたゼンビに、温羅は不思議そうに声をかけた。
「どうした?」
「ああ、うん、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
床についた温羅を確認した後、また顔を背けて、ゼンビは目を閉じた。うごめく感情を閉じ込めるがごとく。

温羅と精霊女の出会い、それは温羅が天下への道を突き進むシナリオの重要な章であったとのちの者は語る事になるだろう。温羅が彼女と出会ったことは、天下争奪の勢力図が大きく動く事になる。
その精霊女の動きを探り、もう一人の重要人物が温羅へと近づきつつあった。その出会いがまた温羅の王へと進む道を確実なものとする大きな一歩として。


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