春の風が心地良く吹き抜ける。この島は相変わらず、変わらない姿で私を受け入れる。
前に訪れた時から一年も経っていないわけだけど、懐かしさを覚えるほど久しぶりの感覚。
私の突然の訪問に、おじい様は驚いた。ふふ無理もないかしら? 前回会ったときのことを思うとね。
追い返されたらどうしようかと思ったけど、おじい様は驚きながらも私を迎え入れてくれた。
懐かしい、おじい様と過ごしたこの家も。小さいながらもおじい様が手入れしているからなのか、長持ちしている。
「なんだ、来るなら来ると言ってくれれば、もっと準備できたのだがな」
そういいながら、おじい様はきちんと私の食事を用意してくれた。
「つゆは…あっためたほうがいいか?」
「冷たくていいわ、おじい様」
そうかと言っておじい様がそうめんをテーブルの上に置いた。おいしそうなつゆのにおい。私はおじい様のそうめんが大好きだった。この島を出て以来、食べる機会は減ったから、楽しみにしていた。
「おいしいわ。変わらないわね、おじい様のそうめん」
「お前の好物が今でもそうめんとはな」
はははとおじい様が笑った。ぎこちなくも優しく接してくれる。こんな風におじい様と笑い合えることなんて考えもしなかった。おじい様もそれに不思議そうに思っていたみたいだ。
「ビケよ、お前は変わったな…」
「そう思う?」
「前に会った時と比べるとな」
ああ、そういえばそうね。あの時私はおじい様に…。おじい様の足元に視線を落とす。見た感じなんともない様子だけど。
「怪我のほうはもういいのかしら?」
「よく言うな。だれのせいだと思っている」
「あら、手加減はしたつもりよ。…最初は殺すつもりだったけど…」
「わしもその覚悟だったがな。…だが生きていてよかった気もするよ。ろくな力を持たないおいぼれではあるが、力になってやりたいと思ってね」
「タカネの?」
「いいや、…わからんのか?」
おじい様の返答わかってしまうけど、素直に頷けはしない。わだかまりは、今でも残る。
おじい様と私、長年共に暮らしてきたけれど、お互いに隔たりを感じながら生きてきた。おじい様は私を恐れ、私はおじい様を信頼してこなかった。その主な原因が、私にとって根源とも言える温羅だった。鬼門にとって、また私とおじい様にとって、その存在はきっても切れない重要な存在だった。キンやショウだけじゃなく、おじい様とも前世での関わりがあった。おじい様の記憶がハッキリしているかは定かじゃないけど、おじい様が感じているわだかまりはきっと、前世の事柄も関わっているに違いない。前世によって結びついた私たちだけど、その前世によって縛られていた。
「…わからないわね…」
おじい様はふうと息を吐いて、私の顔を見つめる。深い眼差しで。心の奥底を見破られそうで一瞬焦った。まるで今までと立場が逆転したみたいに。おじい様もこんな目ができたのね。
「お前だよビケ。鬼一の死をこれからも隠し続けるわけにはいかないだろう。ビケお前の犯した罪は重い、またお前を止められず導く事もできなかったわしにも責任がある。
前鬼王として、お前を鬼王に正式につかせたい」
「ふふ、冗談はよしてよおじい様。私が器じゃないって事、誰よりおじい様がわかっていることじゃない。もう温羅もいないのよ。私は鬼が島から手を引きたいの。鬼王はキンにやらせるべきね」
「だがアレは今Dエリアの領主なのだろう? 雷門の血統でもあるし、金門との関係も見なければならんぞ。繋ぎでいい、まずはお前がやってみろビケ。わしもサポートに努めてやるから」
おじい様、少しずつだけど、おじい様の本心が聞けた気がする。きっとおじい様はずっと、あの想いにとらわれ続けていたのだろうから。
「そうね、おじい様が力になってくれるのなら、前向きに考えてみるわ。ただ、前世の人物の後悔のためだけにそうしたいというのなら、お断りよ」
「!? な、なにをい」
「温羅はアナタのことを怨んでなどいなかった。…精霊女と言ったかしら?」
おじい様は驚いた目を数度しばたかせて、笑った。
安堵の笑みで。
「そうだな、もう関係ないわけだ。温羅も桃太郎も消えた。ははは、わしも前世の想いにとらわれすぎていたみたいだな。ビケ、お前ともやっと、祖父と孫として向き合える」
「そうね、これからはおじい様、もっとちゃんと本音で接してちょうだいね」
「はははよく言う。ビケお前のほうこそな」
きっと安堵したのはおじい様よりも私のほうかもしれない。温羅を失い、無力になった私を受け入れてくれるのはおじい様だけかもしれない。だけど、私のしたことを考えれば、許されなくても仕方ないと恐れていたのもあったから。

「――ごちそうさま、おいしかったわおじい様」
「ん、もう行くのか?」
「ええ、ゆっくりしていきたい気持ちはあるけど。…また時間は作れるわ。
今日はありがとうおじい様」
「ああ、そういえばお前に客が来ていたぞ」
え、この島に私を訪ねてくる相手って…。かなり限定されてしまうけど。
「ふふふ誰かわからぬか?」
「そうねぇ…心当たりが多すぎて」

とぼけてみせたけど、その相手が誰かはわかっていた。…あの人しかいないだろうと。
私の本心を知る人。
鬼が島で会ったのが最後になる。少し、恐れがあったのかも。もう、二度と優しくしてもらえないじゃないかっていう。むりもない、それだけのことを私は彼女にしてしまったのだから。
それでも彼女はあの頃と変わらない優しい笑顔で待っていてくれる、そう感じてしまうのが甘えなんだろう。
おじい様の家を出て、海岸沿いの道を行き、山道を行く。昔テンとよく来たこの道。進んでいくとひらけた場所に出る。海がよく見渡せる風の心地いいこの場所に。
「ビケ…」
変わらず、優しい笑顔で私を待っていてくれた。
「タカネ…、やっぱりタカネだったのね。おじい様に会ってきたのね」
「ええ、鬼太郎さんったらすっかりおじいさんになってて…、ふふふお互い様なのだけど。…それだけ時が過ぎたという証なのね」
タカネの前ではにかむおじい様、…想像できてしまうわ。
「鬼太郎さん何度も謝っていたわ。…辛くなかったと言えばウソになるけど、私は鬼太郎さんの事もビケあなたたちのことも、恨んだことなんてなかったのよ」
「そうね、私たち鬼門家は三代に渡ってアナタを苦しめてきた。謝って許されることでもないのは重々承知、それでも、この謝罪を受け入れてほしい。ずっと…ずっと苦しめてきてごめんなさい」
「ビケ、ありがとう…、あなたもようやく解放されたのね。前世から、私への想いから…」
「そんなこと…、タカネあなたは私をあきらめさせたいのなら、そんな風に優しくするのは逆効果よ。あなたを愛さない道は死よりも厳しい。きっと、温羅の想いがなかったとしても、私は間違いなくアナタに惹かれた。
今だってあなたを強く愛しているのに」
「ふふふ…ビケ、私にはウソをつかないでちょうだいね」
「?あら、どういうことかしら? 私はなにもウソなどついてないけれど」
「ねえビケ、あなたはあえて誰かの事を考えないようにしてない? 素直になってちょうだい。私はいつだってあなたの味方になるわ」
記憶の中の炎に包まれる視界。すっかりふさいだけれど、傷跡は残ってしまった。
「タカネ…私はあなたの前ではどれだけ裸なのよ…」
タカネの柔らかい掌が私の手を包み込む。
「味方は私だけじゃないのよ、ビケ。鬼太郎さんだって、あなたのことちゃんと想っているわ、それに」
「ええタカネありがとう。…ようやく、前に進み出せそうだわ。おじい様との関係だって、今からでも遅くはないのよね」
タカネの言葉を私はわざと遮った。まだ心のどこかで、それを認めたくないのだと…。

鬼が島、炎の中、真っ直ぐで退かない眼差し、熱い想い…。
意識が途切れる瞬間、私は温羅に問いかけたんだ。
「温羅、もうあの手をとってもいい?」
温羅はきっと許してくれないだろうけど。あの瞬間、乞うた。
馬鹿げた願い、認めたくない想い。必死でかき消そうとしているのに、タカネはどこまでも私の期待を裏切ってくれるんだから。

「ビケ、実はね、みんなこの島に今来ているのよ」
「え? …どういうことかしらタカネ、みんなって…?」
タカネはにこにこと嬉しそうな顔で私を誘う。
「みんなで花火をする予定なのよ。ビケあなたもぜひ来てくれないかしら? 場所は北の浜辺、夕暮れ前には来てちょうだいね」
「ちょっタカネ」
タカネってば、一方的に約束をして山を降りていった。…みんなって、あれやあれのことかしら?
なに揃いも揃ってこんな田舎の島にやってきてるのよ? 花火? そういえば鬼が島でもうるさく花火の音が聞こえていた気がしないでもないわ。
「ああもうどうして、考えたくないのに」
考えさせてしまうの、忌々しいこの傷跡よ。
「ふふ…」
タカネ、あなたを想うのに今こんなにも心が和らぐ。温羅から解放されて、やっとビケはタカネを愛する事ができたのだろうか? それから、浮かんでくるあの姿…、汗だくになりながら、傷だらけになりながら、すすにまみれながら…、その姿をゆっくりと思い出す。ああ、タカネのせいね。
「でもすぐに認めてしまうのは悔しいわ。…もう少し振り回させてもらえるかしら?」


タカネの約束どおり、私は夕暮れ時に浜辺へと向かった。おじい様のもとに寄っていったら嬉しそうに笑っていたから、おじい様はタカネからでも聞いていたみたいね。
浜辺で待つのは、タカネの他に見慣れた顔ばかり。鬼が島で揃った顔が、またここZ島で集う。
「ビケ! 待っていたわ」
「フン、無様だな、ジジイの元に泣きつくとは落ちぶれたにもほどがあるぞビケ」
相変わらずな男のテン、他に言い方はないのかしら。…まあだからこそのテンだけど。
「あ、ビケ兄さん…」
「ビケ兄!」
「おおっ兄者! さあさあやるぞ花火!!」
「ビケさん!!」
私の元へと駆け寄ってくるのは、あの炎の城で死闘を繰り広げた、私に命をかけてぶつかってきた、この傷跡を残した忌々しい相手。
「リンネ…」
「あたしはあきらめてませんからね。何度だってぶつかってみせる!」
炎を宿したような眼差し、ああほんとうに憎々しい。
鬼歴1500年二月三日…、私はその日を忘れない。一生モノの傷をつけられてしまったのだから。体にも心にも。悪くないそれは、やっと私が解放された印。リンネ、私はやっとあなたをちゃんと見ることができる。
その手を掴みたいと願ったけれど、けして負けを認めたわけじゃない。
「ふふ言うじゃないリンネ。いいわよ、私はいつでも鬼が島で待っているから。だけど、また勝てるなんて甘い事を思わないで頂戴。私も本気になるから」
「? と、当然ですよ! てビケさんあれ本気じゃなかった「おーい、はよこんかーい、あげるぞー」
「ちょっキン待たんかーー、あ、ビケさんいこう!」

おじい様、私は鬼が島へ戻ることにするわ。
でも時々は会いに来てあげる。話をしましょう。これからどうしたらいいか、それから、この先に思い描く夢の話を。


恋愛テロリストラストエピソード完 2010/5/26UP

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