『あ、キョウ兄? ボクだけど、今からリンネオッサンに会わせてみようと思うんだけど』
ショウからの通信だ。テンは相変わらずあの場所でカフェをやっている。
Cエリアにいるリンネを連れ出してテンに会わせるつもりらしい。ショウは私の頼みだからというより、単にテンとリンネ、二人の様子を見て楽しみたいだけのような気がするが、まあそれはどうでもいい。
リンネとテンの接触。リンネに会うことによってテンの記憶が戻るだろうか? テンが記憶を失った経緯を、リンネは知っているのかもしれない。それだけでも、私は探りたいと思った。


私はBエリアに足を運んだ。
港通り、この通り沿いにテンの店舗がある。テンの店から出てきたリンネを見つけた。
「リンネ!」
「あっ、キョウ」
リンネはこちらへと駆け寄り、軽い挨拶をかわす。
「ここにいるということは、テンに会ってきたんですね?」
「うん。…一体、なにがあったの? あたしCエリアに来たショウから聞いて初めて知ったのよ。
ショウのやつは、キョウからテンのこと聞いて知ったって言ってた。
キョウはテンがああなった事情を知っているの?」
聞きたいのはこっちのほうなのに…。まさかリンネも知らないのだろうか? そう思いもするが、リンネの背後にビケ兄さんの幻影を感じ、あっさり信じるのは浅はかだと首をふる。
「私も知らないんですよ。あの島でなにがあったのか・・・」
あの島というワードにリンネが反応し、目を見開く。
「Z島に行ったの?」
「ええ、行ってきました。そこで倒れたテンを発見したんです。発見時は気を失い、無事戻ってきたかと思えば、記憶を失っていた…、驚きましたよ、あのテンがあんなことになるなんて」
「あたしも驚いた。だってテンがカフェやってるとか、それにおばあちゃんのことも忘れてるし、ああもうむずがゆい!」
「あの島で、なにがあったのかが鍵ですね。
…あのテンに記憶を失うほどのショックを与えることができる存在なんて、只者じゃないのはたしか。
リンネ、あなたなにか心当たりないんですか?」
「えっ…」
リンネは固まり、目は…泳いでいる。やはりリンネは知っているんじゃないか? テンがこうなったいきさつを。あの島で起こった事を。
「気になることがあればなんでもいい教えて下さい。彼を戻すきっかけがなにかあるとすれば、それは」
リンネは目を震わせながら、その場にしゃがみ込んでしまった。
「ごめんあたしは、なにもっ」
私は、テンのことばかり考えていた。目の前の少女の気持ちを気づかいもせずに。私は彼女をどう思っているのか、ビケ兄さんに味方するなら…、いや私はなにを考えて、まるでなんとかしてビケ兄さんを反正義にしようとしているみたいだ。そんなのは間違っているのに、なのにあの老人の言葉が何度も頭の中で回り続けている。
「すみません、テンのことばかり・・・リンネあなたも二年間の記憶を失っているんでしたね」
「二年間の記憶・・・あっ」
「あなたは元Aエリアの住人ですから、相談にのると言ったでしょう。なにかあればいつでも」
「いいの!もう過去は!」
過去はどうでもいい? あんなに不安がっていたのに。
「いいって・・・」
「売ってしまった過去なんて、きっと死ぬほど捨てたかった記憶なのよ。そんな記憶取り戻すことにきっと意味なんてない。
それに、あたしは、今のあたしにはビケさんとの今の、これからの記憶のほうがずっと大事だもの。
あたしはビケさんの愛だけを信じて生きていくの。だから、もうそのこと気にかけてくれなくても平気だから、ありがとうキョウ。
もうAエリアに未練はないし、Cエリアに戻るから」
熱愛宣言…、あれは事実ということだろうか? リンネ自身は強く信じ込んでいるみたいだが、本当に? ビケ兄さんが桃太郎の生まれ変わりと信じるリンネを愛せるのだろうか?
「そうですか。あなたが自分でそう決めたのなら、それでいいと思いますが。
でも、気をつけてください。あなたを桃太郎そのものと思い込んでいる金門にいつ狙われるかわかりませんから」
「大丈夫よ、ビケさんのおかげでもうそんな心配しなくてよくなったし」
心底嬉しそうな顔のリンネ。私はそれに違和感を感じてしまう。ビケ兄さんとリンネの間に偽りがなければ、こんな違和感など感じないかもしれない。…私はまた無意識のうちにビケ兄さんを疑うほうへと気持ちを向けかけていた。
「リンネ・・・あの人は・・・」


私はリンネになんと伝えるつもりでいたのだろうか。結局思いとどまったが。
ビケ兄さんを信じすぎるな。そう警告を発したかった。あそこまで、盲目的にビケ兄さんを想っているリンネが不憫に思えた。少しくらい疑念を抱いていたほうが、気持ち的にも違うだろう。もし信じていたものに裏切られたら…、その時のショックは気持ちに比例するものになるだろう。
リンネと別れ、私はテンの店のほうへと向かっていった。
ここが…、テンの経営するカフェか。カフェテンという名前らしい、そのまんまだが気にするところではないだろう。店は結構繁盛していた。テンにこのような才能があったとは。
「お客様ー、まっ、きゃんぶっ」
「っ!大丈夫ですか?」
店から突然飛び出してきた娘が私と正面衝突した。私の胸元に顔をぶつけたようだが、怪我などはない。
「だ、だいじょうぶです。ごめんなさいです、慌ててて。!? …イケメンさんです(きゅんっ」
エプロンドレス姿の彼女はここの従業員だろうか。ショウの話だとカフェテンにはテンを店長とし、エメラという学生のアルバイトが一人と、接客担当の白い仔猫がいるらしい。おそらくこの彼女がその一人だろう。
「うう今のお客様お釣り間違っちゃったです。…もういなくなっちゃったです…。仕方ないです、常連さんですし、今度来た時に謝ってお返しするしかないです」
彼女からなにか聞き出せないだろうか? すでにショウが接触しているかもしれないが、…あまり頼りにならないし、念のため。
「あの、ちょっと時間いいですか?」
「えっえっ、イケメンさんに誘われてエメラどどどどうしたら」
イケメンさんではありませんが…。どうしたのだ彼女のこの慌てっぷりは、怪しいな。
「おい、なにをしている、とっとと運べ! グズかッッ」
この声はテン。
「は、はいです、今いくです! あああ、あの今は」
「ああ突然すみません。お忙しいのに呼び止めて、少しお話がしたかったのですが」
「お仕事すんでからでもいいですか?!」
なぜこんなにも慌てているのだろうか、ともかく、彼女は待ってくれるようだ。今日中であれば、まあかまわないだろう。
「ええ、とおりで待っていますよ」
「は、はいです!」


店には閉店の看板がかかり、あのエメラという少女が店内を片付けている姿が見えた。
やれやれ思っていたより時間が経ってしまった。この間にAエリアでの仕事が刻々と溜まっていっているのだろう。
波音を聞きつつ、赤い光を浴びながら待っている私の元に、あのエメラという少女が息きらせながらかけて来た。エプロンドレスを着替え、普段着になっている。
「わわわ、遅くなっちゃってごめんなさいです!」
「いえ、こちらこそ、ムリに頼んですみません」
「そんなことないです。イケメンさんのお願いなら、エメラいくらでもへっちゃらです!」
私はイケメンさんではないが、わざわざ自分の身を明らかにする必要もないだろう。Aエリアの領主がこんなところをうろうろしていること自体おかしなことだから。
「エメラ、運命って信じるです。はぁ…、見れば見るほどイケメンさんです!」
彼女は誰かと勘違いしているのだろうか、そのイケメンとやらと…。女性のこういった眼差しはどうも苦手だ。早いところ彼女から聞きだそう。
「実はお聞きしたいことがあるのですが、 あなたはそこのお店で働いているのですよね?」
「はい? そうですけど。エメラ夏休みの間だけそこで住み込みでお仕事させてもらってるです」
住み込み、ということは今もっともテンに近い立場にいる者ということか。
「その店の店長のことですが、なにか聞いた事はありますか?」
「え? 店長自身のことですか? エメラのこと知りたいわけじゃなかったですか…」
なぜかがっかりするエメラという少女に、テンのことを問いただす。
彼女は私を怪しむことなく、あっさりと教えてくれた。
「もしかして、イケメンさんは店長のお知り合いですか? エメラのほうこそ知りたいです。店長はほんとに人魚なんですか?」
「は?…に、にんぎょとは…いったい?」
「店長言ってたです。店長は海から来たって、海の中にいた記憶があるって、つまり人魚だったってことだと思うです!」
海にいた…、テンは海にいた記憶があることをこの少女に話したということか。私が知りたいのはその前の記憶なのに…。


しばらくテンが記憶を戻したという動きはないようだった。
店のほうはますます繁盛しているらしい。グルメマップにのるほどの有名店になってきているらしい。
通信機が鳴り、通話ボタンを押す。ショウからだ。
『あキョウ兄〜、ボクだけどさ…』
「ショウ、なにかありましたか?」
『ちょっとおもろいことになってるよ。ぷくく』
「なんですか? 焦らさないでとっとと報告してくれませんか?」
『リンネのやつ、今オッサンのとこで働いてるんだけど』
リンネがテンの店で働いている?!
『リンネのやつ、オッサンにしごかれまくってる。超愉快なんだけど』
リンネはテンの近くにいるということか。なにか動きがあるかもしれないな。リンネとテン、二人は桃太郎の血族だ。強く感じあうものがあるかもしれない。
『オッサンなら相変わらずだよ。記憶戻ってないみたいだし』
「そうですか…」
『あ、そうそうリンネのこと聞くなら直に本人に聞けばいいよ。こないださ、リンネの通信機設定いじっといたから、キョウ兄からも通じるようになってるはず』
「それは助かりますね、…少しリンネをけしかけてみますか」

リンネへと通信を繋ぐ。上手いこと通じたみたいだ。
『ビケさん!』
…リンネ、私からの通信をビケ兄さんだと思い込んでいるのか…。
「リンネ、私ですが…」
『え、その声はキョウ!?』
私からの通信に酷く驚いているようだ。
「テンのことですが、あれから変わりは?」
『え、ああ、うん。まだ今のところ、思い出したりとかないみたいだけど』
「そうですか。・・・海に落ちて記憶を失ったのなら、また海に落としてみたらどうでしょうか?」
『はい?』
「私は当分そちらに行けそうにないので、なにか変化があったらすぐに教えてください」
海に突き落とす。…さすがにムチャを言い過ぎたかもしれない。私は、焦っているのだろうか。テンを呼び戻したい、それを強く望んでいるのは私なのか…。私は、もう一度会いたい、あのテンに。何者にも屈しない、不屈のテロリストに。
遠い昔に出会ったあの桃太郎に、私はテンを重ねたいと願っているようだ。どうして、ここまでこだわっているのだろう。私は、私は桃太郎に……。
「よっぽどお熱みたいっすねー」
「ミント、聞いていたのですか? 悪趣味な」
「ひどいっすねー。聞こえちゃったんすよ」


嵐と共に動きがあった。私の元に届いた二つの報告、一つはテンが記憶を取り戻したという事。もう一つは…
『金門最強の暗殺者が動き出しているって話耳にしたんだけど』
ショウからの報告で私はリンネの身に本格的に危険が迫っていることを知る。
以前から、リンネは何度も金門に命を狙われている。私も気をつけるようにと警告を発したのだが、リンネは聞く耳を持たなかった。リンネはビケ兄さんを信じすぎている頼りすぎている。その考えは、いつか破滅へと向かう道になるだろう。もうすでに、金門最強の刺客が動いているのだとしたら、近いうちに現実になるだろう。
「リンネはCエリアに戻ったんですね? 暗殺者のことなど知らずに」
『色ボケかましているからね、リンネのやつ。ビケ兄の側にいれば安心だなんてのん気に思ってそうだけど、以前もCエリア領主館で金門の暗殺者に狙われた事あるってのにさ。アホだから忘れてんじゃないの?』
ビケ兄さんがリンネをそばに置く理由はなんだろうか? 監視の為? 鬼が島の指令なのか?
ビケ兄さんのそばとはいえ、Cエリアは金門の本拠地だ。周囲はすべて敵といってもおかしくないその場所にわざわざ戻るなんて、命知らずでしかない。
鬼が島はリンネをどうしたいのか? ビケ兄さんは?
「ショウお前は今もBエリアに? リンネの側にはいないのですか?」
『は? なんでボクがリンネのストーカーなんて気持ち悪くてうんざりなんだけど。ビケ兄にしたってそうだろ。鬼が島の命令で仕方なく恋人のふりしてるだけなのに、リンネの奴調子こきやがってマジウザイし』
「ふり…、やはりリンネは騙されて踊らされているだけなんですか」
哀れな。
『そうだよ、きっと鬼が島はリンネなんてどうでもいいんじゃない。重要なのは桃太郎のほうかな。でも、金門のほうは違うみたいだけどね。連中は桃太郎も、その末裔も生まれ変わりも、ムチャクチャ憎んでいるようだからね。リンネ、殺されちゃうよね♪』
リンネ、彼女は自らテンという唯一の味方を手放し、地獄の檻へと飛び込んでしまったのか。
哀れで、…愚かだ。私はリンネを哀れみ、愚か者だと見下した。


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