この街に慣れてしまえば気づかないものだが、この街の空気は臭い。
漂う実際の臭いがだけではないだろう、この街にあるありとあらゆるもののにおい。
欲望の臭い、人の果てない欲望の臭い。それがこの街には溢れている。
すべてが自由で、ここで買えないものも売れないものもないと言われている街。
Bエリアと呼ばれるその街は首都鬼が島の南東に位置する。交通ルールなどなきに等しいここでは自由勝手に車が走り、譲り合いの精神などない人々が道を行き交う。そんなわけでトラブルもいたるところで絶えない。がこんな街でも長年暮らせば順応してしまうものだ。
この男、名をクローと言う彼もまたその一人だった。歳は三十を越えたくらいか、長く伸びた黒い髪を後ろで一つに束ねている。黒いジャケットを羽織り腰には帯剣という物騒な出で立ちだ。がここBエリアではさして特別なわけではない。己の身は己で守る、そのために武装するのはごく当たり前のこと。
クローは元々ここの出ではなかった。このBエリアの西にあるDエリアの出身だった。Dエリアはここよりもさらに劣悪な環境にある街だ。腕力こそがすべてという、力さえあれば歳も性別も生まれも関係なく上に上れると言う世紀末な所だった。厳しいDエリアで生きてきたクローであるからこそ、Bエリアにも早く順応できたのかもしれない。もし真逆の環境にいたものならば、そうはいかなかっただろう。すぐに根を上げるか、それ以前に生きてこられないかもしれない。
クローがBエリアの住人になってから、十二年になる。十二年前、彼がここにたどり着く事になったのは、ある事件が関係していた。彼の人生を左右するほどの事件だった。それも十二年も経てば、はるか昔の出来事のようだ。あの頃の見知った者たちは、周りに一人もいない。あの日に、みんな死んでしまったのだから。
いや、もしかしたらただ一人、生きているかもしれないと思い当たる人物が一人いた。それはクローもいまだに気にかかっている者だ。
「相変わらずだなこの街も」
見慣れた景色だが、薄汚れた街道の脇にクローは腰掛けた。右手方向からなにか叫びながらバタバタと駆けてくる一人の少女が目についた。ひらひらとした動きにくそうなドレスをがっと手で掴みながら、懸命に走っている。足は靴が途中で脱げたのか素足だった。どこにでもいそうな感じの少女だったが、桃色の派手な髪だけは目立った。
「いーぎゃーーー!」
ただ事ではない叫び声に形相、何者かに追われているのだろう。見ると物騒な強面の男たちに追いかけられている。こういった光景もこの街では日常茶飯事なのだが、…クローはその少女に強い何かを感じ、反射的に体が動いていた。自分の前を横切る寸前、少女の腕を掴んで引き止めた。
「いっだっ! なっなんですか?! アイツらの仲間!?」
ギョッと目を見開く少女。突然見知らぬ男から腕を掴まれ、そう疑うのは仕方ない。
「安心しろ、俺はアンタの敵じゃない」
目を見開いたままのその少女の手を強引に引く。狭い店舗間の路地へと走る。影に身を潜めると、バタバタと追っ手たちの足音が通り過ぎたのを確認してから体を起こす。
「い…行ったみたい。はー、恐かった」
がくり、と少女は脱力して肩を下ろす。
「お前は、誰だ?」
クローは少女を見てそう訊ねた。
「へ? 誰って、それはこっちのセリフなんですけどっっ! いきなりなんですか? というかここはどこ?
ほんとに…Bエリア…なんです、か?」
一言目の口調から段々と力なくなっていく少女。また最後に疲れたようにためいきをついた。
Bエリアにいてそんなことをたずねるなんて、彼女はBエリアの人間ではないのだろうか。
「ああ、ここはBエリアだ。お前ここの人間ではないのか?」
こくり、と少女は頷いた。
「あのあたし、本当はAエリアの住人なんです。ちょっと自分でもなんでここにいるのか、なんでこんなヘンな格好しているのかわかんなくて、もうなにがなにやら…。とりあえず領主のところに行かなきゃいけなくて、歩いていたらさっきの怖い人たちになぜか追いかけられて、殺されそうに、…もううんざりなんだけど」
「Aエリアからの迷い子か、おもしろいな」
「は? おもしろくありません。なんですか、あなた他人事だと思って!」
「(他人事?…いや)」
クローは顎に手を寄せ、少女の顔を見ながら考える。どうもただの他人には思えないと。少女とは初見で知り合いでもなんでもないのだが、なぜだろう、どこかで覚えのあるような不思議な感覚があった。だからとっさに腕を掴んで彼女を助けようと動いたのだ。がその感情が現在のクローには理解できず、一人むーと考え込む。
「あ、あの、もう行きますね。あたしとっととAエリアに戻りたいし、早く領主館行かないと」
「ん、ああ。ここはAエリアとは違うからな、気をつけろよ」
「は、はい。どうも」
少女と別れた後も、クローは一人思い出すように考えていた。
「知らないはずなんだがな…、妙に気にかかるな」
思い出せないなにかがひっかかっていた。

こんな風に誰かが気にかかるなど、三十年以上生きてきて数えるほどしか覚えがなかった。
クローは十二年前まではDエリアの住人だった。おそらくは生まれた時からDエリアにいたのだと思う。幼い頃の記憶はあいまいだが、ハッキリと記憶にあるのはある人物と出会ってからだ。その人物こそがクローの人生を変えた一人に当たる。クローたちのようなDエリアのギラついた子供たちを集め、育て鍛えた男、リーダー。本名がリーダーなのかすら定かではない。男は自らをリーダーと名乗り、クローたちのような猛る子供たちを集め、【キメッサー】という組織を立ち上げた。今は亡きその組織は、かつて首都鬼が島に挑んだ反鬼のテロ組織だった。十二年前に鬼が島へと攻め込み、全滅した。目の前で肉体がはじけ飛ぶ同志達の光景は今でも夢に見るほどだ。リーダーもその時に死んだはずだ。クローも生死の境を彷徨い、鬼が島を囲う水路へと流された。Bエリアに流されたクローはなんとか回復に至ったが、負った傷はぬるくなく、記憶障害も酷かった。二〜三年は不安定な状態だった。何の為に生きているのか、なにをしたいのか、わからずにいた。自分を保つということがどれだけ当たり前で大変なことだったのか、改めて知った気がする。
絆…。
Dエリアという環境ながらも、そこで共に過ごした同志達、クローは絆を感じていたのかもしれない。もう二度と取り戻せないものだが。いや…、こうして歳をとってようやく心に余裕が持てるようになって、思い起こすことがある。気にかかっている同志の一人、ひょっとしたら、そいつなら今もどこかで生きているのではないかという予感。
「テン…、アイツなら生きていそうだという気はするんだがな…」
自分の後にリーダーに連れてこられた少年だった。テンという名はリーダーがつけた。十人目という意味だ。クローの名もリーダーにつけられた名だ。意味も同じ、九人目を意味したものだ。組織に入った時期が近いこともあり、クローはテンが気になっていた。歳もさほど変わらないだろう。二人ともDエリアの出だから正しい年齢は定かでないが。
テンは組織の中でも最も新入りで、歳も若かった。そのくせ態度はド級で、リーダー以外を認めていなかった。戦闘訓練ではぶっちぎりの強さを誇り、その強さもあって自分より弱いクローたちを認めようとしなかった。心など開く事もなかった。興味を持っていたのもクローが一方的にだ。テンはクローのことなど大して興味もなかっただろう。クローはそう思う。
「(第一印象は最悪だった。俺はアイツにコテンパンにやられたからな。それから一度としてアイツに勝った事がなかったな。それでも悔しいだけじゃなかったが…)」
もし、生きているなら、今アイツはどんな人間になっているのか…。そんなことをよく思った。
「…あの娘、名前くらい聞けばよかったか…」
先ほど助けた少女が向かった先へと視線をやる。
「たしか領主館に行くと行っていたな」
どうせ、用も無いし、様子を見にいってみるか。ふいにそう思い、クローは領主館のほうへと歩き出した。



「…ううう、なんでこんなことに…」
領主館の一室で、先ほどの少女は座り込んで落ち込んでいた。先ほどまで着ていたヒラヒラのドレスはなく、肌色率98%くらいの恥ずかしい格好をしていた。それも本人がすすんで身につけたものではなかった。
「なにも思い出せないなんて、…あたしなんでBエリアになんていて、恐い目に合って…、領主は変態だし…もううんざりなんだけど…」
どうしよう、味方なんてどこにもいないと、少女はがっくりとうな垂れ、ためいきをついた。
「なんとかしてAエリアに戻りたいけど…」
領主館に来れば、領主がなんとかしてくれるかもという望みがあった。しかしその領主にこんな恥ずかしい格好にさせられてしまった。さらに領主の傍にいる部下の男が話の通じなさそうな殺気ギンギンの相手だったりするから下手なことできない。したら殺される。
「ほんととんでもないところだよBエリア。…味方なんてどこにも、あっ…」
つぶやいて、ハッと思い出したように顔をあげる。
「おばあちゃんなら…」
少女の祖母はここBエリアに住んでいるはずだった。長年直接会ってはいないが、祖母はBエリアで唯一の味方であり、彼女にとってはたった一人の家族だった。
思い出して一瞬希望が持てたが、またすぐにハッとなって絶望する。
「それにはまずここから逃げ出さないと」
部屋はバルコニーに隣接していた。下に降りるには壁を伝うしかないが…、降りられる自信はない。バルコニー下周辺に人の気配はしない、見張りも今ならいないみたいだが。
窓に手をかけ開けようとしたが、すぐにその手を引っ込めた。ドアが開く音がしたからだ。
「なにしてんの?」
ドアを開けた主はここBエリア領主館の主でもあるBエリア領主。と言っても見た目はまだ少年でしかない、言われなければ彼が領主だとはだれも思わないだろう。
「あ、あーちょっと外の景色を眺めようかと」
「ふーん、別に見てもおもしろいものなんてないと思うけど」
「あ、あの、あたしAエリアに帰りたいんだけど、なんとかしてもらえない?」
変態だけど話せば何とかわかってもらえるかもしれない、という望みがあった。
が、返ってきた答えは…
「ムリ」
の非情な一言だった。
「そ、そんなー、あたし本当はAエリアの住人なんですよー! なんでかわからないけど気がついたらここにいて。どうかAエリアの領主と話でもしてもらえない?」
「ムリだって。君さ許可書も持ってないみたいだし、それ以前にボクに買われた身なんだし、自由に帰れるわけないだろ」
「そ、そんなー…、せ、せめて何か他に着る物を…」
「しらねっ」
「ちょっっ(鬼かーーーー! 変態鬼畜かーーー!)」
少女とさほど歳も変わらないこの少年領主は、まともに話が通じなかった。領主なら少しはまともかと思っていたのだが、Bエリアはこんな奴らばかりなのかと少女は落胆する。
心の中で変態めと罵って、ギリギリと歯噛みする。
「ショウ様! お下がりください、そこのクソ女、ショウ様へ殺気を放っております。私が早々に処分いたします!」
バンと勢いよく扉が開いたと思ったら、現れたのは領主の側近の黒髪でスーツ姿の少年だった。奴の手には物騒な得物が…銃口が少女のほうへと向いている。発砲寸前だ。
「いっっ」
殺される!!そう思った。
「お前が下がれよ、レイト!」
が側近の少年に下がれと命じたのは彼の主の領主だ。「え?」と黒髪のレイトと呼ばれた少年の表情がさーっと青くなる。
「そ、そんなショウ様、私はショウ様をお守りすべく…」
「ウザイんだってお前、ボクは自分の身くらいお前がいなくても守れるんだけど?」
「い、いえしかし私はショウ様の御身を…」
「物分かり悪いなお前、下がれっつったろ?」
領主のショウにレイトは逆らえないらしく、ぐぐうっと切なそうな表情になって部屋を去る。出る直前、少女のほうには鋭い殺気&憎しみの篭った目で睨んでいった。
「(はー、恐かった…、マジで殺されるかと思った)」
少女がホッとしたのもつかの間。
「レイトが言った事はともかくとしても、…臭うよね…」
「えっ?!」
目を光らせるショウに、少女はびくりとなる。
「(臭う? なにが? あたし臭い??)」
「殺気の臭いがね?」
少女に心当たりのない疑惑の目はすぐ前に迫り、鼻と鼻が当たりそうな距離まで詰まる。
「えっええっちょっっ?!」
両腕を拘束されて床に押し付けられる。腹部を圧迫されて息苦しさに顔を歪める。
「くるっっどいっっ」
苦しいからどけと伝えたいのだけど、それは相手には伝えたところで聞いてもらえないだろう。
ショウは少女に馬乗りになりながら、にやりと不気味に笑う。
「とりあえず、試してみるとするか」
「うっ、ううううえーーーー!?」
「せっかくだし、遊びながら…ねv」
冷たくて硬いものを少女の口に押し当てながら、領主のショウは笑顔で脅した。少女は舌を丸めながらそれを逃れようとするが、遠慮なくぐいぐいと押し込められて涙目になる。

後ろ手で両腕を皮製の紐で縛られる。
ベッドの上に身を投げられて、芋虫のようにのたうちまえば、銃で脅される。
先ほどレイトからの殺気から逃れられたとはいえ、少女にとって最悪の状況は脱せていなかった。Aエリアに帰りたいだけなのに、こんな目に合うなんて思ってもなかった。
にやにやと愉快そうに笑うショウに、怪しげな道具でもって辱めを受ける。一分五分の時間ですら気の遠くなるような長さに思うほど、結局のところそれは少女にとって拷問でしかなく、耐え難い時間だった。
「おねがっ…もう、やめ…」
手が止まったその時に少女は哀願する。刺激に身もだえしまくって、全身ガクガクだった。
「(おかしいな、さっき感じた殺気は気のせいか…?)」
なにか考え込むようなしぐさのショウを見て、やめてくれるのかと一瞬期待を抱いてしまう。
「あの、もう終わり…です、よね?」
息切れ切れに少女が頭を持ち上げながら確認する。
「へ? やだなぁ、なに言ってんの? 本番これからじゃん。あ、待ちきれなかったんだ? この淫乱w」
満面笑顔で全裸で覆いかぶさってくるショウに、少女は「ええっちょっ何言ってんの?」とさらにパニックになって顔を赤くして焦る。
「まっちょっだめっそれだけはだめっっ!」
視線は距離にして五十センチもない位置に見える相手の股間一点集中で、待ったをかけながら必死にもがく。
「あのさ、暴れられるのキライなんだけどさ、ちょっと痛めつけたほうがいいかな?」
にっこりと笑顔で物騒な短銃をちらつかせて脅してくるので、「ああっいやちょっちがっっ」とさらに少女は焦りながら発言を訂正する。
「そのっせめて、せめて外でお願いします!」
やられることにかわりはないが百歩譲って、少女の中でそれならなんとか耐えてみせると言い聞かせた。
「わかった。じゃあ中にw」
「ん、…、えっちょっあたしの言った意味わかってます?」
頷きそうになって慌てて腰を後ろへとずらしながら少女が声を上げた。
太ももの内側の肉に爪が食い込むほど掴まれて、痛みに顔をしかめながら必死で伝えようとする。
「ほら、その中でなくとも、気持ちよくなることってできるじゃ、ない?」
自分でできるほど心の余裕は少女にはなかったが、なんとか言い逃れたかった。
「んー、でもさ、ボク君みたいな淫乱女は内側からぐっちょぐちょにしてやんのが好きなんだよね!」
「へ? えっやっちょっっまっっ!!??」
両腿を掴まれて、陰部になにかが押し当たり、少女は「いやぁっ」とかすれそうな悲鳴をあげて仰け反った。頭の中でノイズが鳴り響いていくようで、気が遠くなっていった。



領主館へと忍び込んだクローは、警備の薄い裏庭より館へ近づいた。キメッサーにいた時の訓練の賜物でもあり、壁を登る事は朝飯前同然だった。クローが登った先はバルコニーのある部屋の前で、大きな窓から中の様子もよく見渡せた。そこで最初に目にした光景に驚かされる。
先ほど出会ったあの少女が、全裸に近い格好で、なぜか戦っていた。
思わず窓に手をついてマジマジとその姿を確認した。動きからして先ほどの少女とは思えない獣のような素早さと激しさ。片手に巻きついた革紐をムチのように振り回している。その攻撃先の相手もまた裸で。いやそんなことより、クローの視線は少女へと釘付けになっていた。あの激しさを隠そうとしないぎらついた目に、心を囚われて仕方なかった。


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